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諸行無常の中で

諸行無常の中で 著作.岩満陽平

2024年5月25日作成

味付けされた海苔のおにぎりを食べた。それが味付けされているとは長いこと知らなかった。それが分かって食べたところで、なんの味付けかよく分からなかった。よく、箸や皿がなくなる。だから、わざわざ100本入りの割りばしを買う。割り箸があれば箸がなくなっても、見つからないと探す手間がない。

一人暮らしを若い頃していて、5年くらい経ってまた一人暮らしになった。あの頃はバカだったな、無駄遣いして、コンビニの弁当ばかり食べていたな、今回はちゃんとしたご飯を食べて、やらないといけないことはちゃんと今の俺ならできる! と思いまた一人暮らしを始めたら、最初の2日だけはちゃんとできてたが、その後は、また前の自分と同じように一人暮らしをしていた。

頭の狂ってる時に見える真理は、正常になると全く持っておかしな話に見える。Youtubeでレディーガガを毎日聴いてた。レディーガガを聴いてれば、貧乏な話など寄ってこないと思ってた。だが、しばらくして頭が正常になってくると、そんなわけないだろ、レディーガガはただレディーガガとして歌っているだけだ、と、そんな虚しくて当たり前でしかない世界になってきた。正常になればなるほど、何をしても、何を考えても、ただそこに現実がぽつんとあるだけだった。今の俺は、もはや殆どのものに大して当たり前で虚しでしかない正常の中で生きてる。

24歳頃、アニメに興味を持って、アニメ全集1000のアニメを勉強した。そんなこともとうに忘れて、29歳になると、生活の中に、キリがないくらいアニメが寄ってくるようになってた。なんでこんなアニメばっかり来るの?と思い返してみたら、そういえばアニメの勉強していたな、というのを思い出した。ちなみにアニソンもかなり聴いた300曲くらい。

小説家を目指してる20歳くらいの男が、Youtubeで三島由紀夫の小説を書き写してた、大人の俺からしたら、経済とか、政治とか、植物とか、語学とか、そういう知識をたくさん勉強した方が小説家になれるんじゃないの?という気持ちになった。小説って、片手間でやることだよ。

17歳~30歳まで、もはや数えられないほど色んな本やら、音楽やら、アニメやらしてきた、18~22歳までに111冊小説読んだ。それが30歳の今、何に役立ってるかと言えば、はっきりいって今の自分でも分からん。太宰治の晩年という小説は、100回は読んだ。


近頃は花に興味持ってる

18~22歳までは、あらゆる小説を読んで、漢字検定準1級取ったり、地に足がついてないなりにも、色々勉強や本を精力的にやっていたのだが、23~27くらいまで、殆ど、なんの勉強もせず、タバコ吸って酒飲んで、ロック聴いて、本も読まんし、勉強も一切しない、Youtube観てるだけの怠惰な人生だった。
27歳になって決意した、「俺は本を毎日読む人間になる」、だるい日も、くそほどに面倒くさい日も必ず本を読んだ、本を読む人間になるのはかなり大変だった、見えない未来の中で、だるいなりに本を読むぞ、と思わないと本を読まなくなる、それが毎日だった。いつになったら、読むのだるい、読みたくないから抜け出せるか分からなかった。そんな中で、経済の本、50冊くらい読んだ。
知らぬ間に、もはや「毎日本を読む」どころか、毎日本を読まずにはいられない人間になっていた。そこまでなるのに1年半はかかった。

23~30歳の現在まで瞑想をしている。25歳あたりの頃は、1日3回も4回も瞑想していた。多い日で10回瞑想したりしていた。結果、それをしたから何になったか、というのは自分でもよく分からない。分からないが、精神バランスはもしかしたら安定してるのかもしれない。
今は瞑想は3週間に1回している。世の中に揉まれてるを味わうことも大事だ、だから瞑想の効力も上がる。

2018年に、僕が教祖の宗教、涅槃黎明会を設立した。設立とは言うが、ただのXのアカウントだ。別にちゃんとした新興宗教でもない。ただ、2022年頃に、俺は涅槃黎明会なんて宗教作ってたのか、と思い出して、そっから涅槃黎明会だ、と名乗ってるだけ。修行も教えも特に、強制するものはない、僕が説法したら、それが涅槃黎明会だというだけの話。

仏教を時々ネットで調べるのだが、この世は欲界というのが好きで、欲界たるものどう生きるか、をすごくよく考える。なぜテレビのニュースは毎日毎日犯罪が起きたことは一生懸命いうのだろう、となれば、欲界の基本コンセプトは悪なんだろうなと感じる。強い男ほど、自然界の厳しさを知ってる。強い男ほどわがままだ、だからこそ良い。それを悪びれもせずできるからリア充であり、心の寛容さになるんだ。

中途半端に友達いるのが一番厄介。いっそのこと友達を全部消して、友達枠の席を全部撤去してしまえばいい。孤独とは中途半端に愛されるから膨大する。


自由はここにある

いつしんでもいいくらいの、最高の幸せを味わって、そこからまた、努力して、最高の幸せ味わって、そこからまた努力して、最高の幸せを味わって、もはや、最高の幸せにすら未練はない、けど、生きてるからまた努力して、最高の幸せ味わって、もうなんかもうええわになってきてる。

僕が実践してるのは、電卓だ。とりあえず、なんか退屈になったら、電卓をする。たしたり、かけたりして、人生になんかなるかもしれないからだ。ただの数字だけども、人生に何かしらの意味になる気がする。
あと、記号。心理学の本に、人は記号で動くと書いてあった。とりあえずスマホのメモ帳に記号を書きまくってる。
あと、辞書。辞書は情報の塊だ、7個くらい部屋にある。情報が情報を持ってくる。またその情報が情報を持ってくるの繰り返しだ。
調味料もたくさん買ってる。食が食をつれてくるという思想。

自分の力と豪語するとこから不安が生まれる。自分の力だとしても神の力だ。私は神の力によって得ている。力を神に帰依すれば、自力という傲慢さはなくなる。神を知ろうと、行動すればするほど、神から離れてゆく。

世界の全てを得たいなら、筋トレとか、美容に専念すればいいわけなのだが、人はみんな理屈は分かるけど行動しない。わざわざ大して実りないのに勉強に行ったり、なんも良いこと大してないのに掃除ばかりしたり。
センスない。センスないのが楽しいからしてるだけ。筋トレとかそういうので全て得れるからと別にしようと思わない、それでいい。自分の関心のあることをすればいいんだ。

心の問題。意地悪な、強欲な、最低な人間が、六波羅蜜を、知っただけで、もう心は入れ替わってる。八正道を知っただけで、もうちゃんとした人格になってる。何を修行でもない、人の愚かさは無知から生まれる。その無知が改善された時点で、もうちゃんとした人格者になってる。

生まれつきの才能だけで上手くいってる奴と、生まれつきほんの小さなことしかできん人いる。だけど、着実にちゃんと勉強してやった奴は、才能だけの奴より良い思いできるし、身についたものだからどこへ行ってもできる。才能だけの奴は、才能が枯れたら終わりだからね。この世に永遠に続く、幸せや力や知性はない、心もだ。身に付けたものも段々薄れていく。初めからまるっきりずっと続く幸せはないことを自覚しよう。それが輪廻。

物は人間だ。今は物かもしれないが、あとからそれが人間になる。ちゃんと物大事にして、物たくさん増やして、やるからにはちゃんとやれ。

お坊さんとか、聖職者は、真理に基づいて喋る職業なので、お坊さんに言われたから、それが全部正しいじゃない。例えば、アイドルに夢中になってる男が、あの子は僕のお嫁さんだ、と言ったとして、お坊さんが、そんなわけないだろ、あの人は君とは関係ないただのアイドルだ、というだろうが、真理として言えばそうなのだが、そんなの、その男からしたら傷つく話だ。人は真理だけでは生きていけない。真理じゃなくてもいい場合もある。


知らない方がよかった

実際は別に大したことない良いことなのに、それを余程の悪事と誤解されたりする。逆もしかり。

いつもあったのはここ、だけ

岩満陽平

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