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邪な戯れ
詩書きました
著作.岩満陽平
「邪な戯れ」
少年の邪な戯れを叱る大人の浅はかな接し方に、明白な根拠のない論理性付け加える静かな大人、だが少年にとっては、邪でも嘘でもなかった。
小さな頃の、歪な思考回路の、知性のないところから、まるで、客観的な視点から見たら、さも正しいように感じるものを、大人の論理的な思考で反射的に阻害するが、それこそ実は真理を伴っていて、穢れた大人のわきまえ続けてゆく、新たな発想のない世界は、それこそ子供からしたら邪悪だろう
私という大人は言った、別にそういう風に言うんだ、そういうもんなんだ、誰だって、そうやって否定的に言ったり、傷つけたりするんだ、攻撃したり、雑に扱ったりするんだ、それには大した意味はないんだ、そんなにいじめないでくれよ
身に纏う、善良な純粋さに疑問を抱いていた、私は、心の奥には、真っ黒な誰もが目を背ける邪悪さがあるように感じる、なのになぜ私は、こうも善良な良い子という宿命のもとにあるのだと。悪魔も魔王も、私には平伏すのではないか、いやむしろ、自分がそのくらいの存在なのではないか。
その日その日を暮らしてゆくうちに、欲望も、邪悪さも、どんどん肥大してゆき、善良さは傷付き、純粋さは、踏みにじられ、私はどんどん周りに気に入られてゆく。
私の心情はもはや、少年の邪な戯れを叱る大人の浅はかな接し方以上の、もっと理不尽で頭を押さえつけて、周りを蹴落として、這い上がってゆく魔物になっていた。
衣はぬがれ、世界に怯える、純粋さは嘘だったのだろうか、善良さは私の心の本性ではなかったのか。
そこには、罵詈雑言も、どんな喧騒も厭わない、本心から穢れた悪人の私が鎮座していた、安心した様子で、これが私だと欣喜した。
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