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運動と私

今回は、私の運動に関わる人生を
まとめてみようと思います。

自分史の中の運動部門という感じでしょうか。
もし、ご興味があれば…

(尊敬語を入れると読みにくくなるので
できるだけ使わない表現で書いています)

※今後も、この記事は
書き足していきたいと思っています。


水泳と私

まだ私が物心つく前、
姉がスイミングに通うことになり、
両親は妹の私も一緒にと、
スイミングの体験に連れて行ったそうです。

初めて会う先生にだっこされた私は、
緊張でカチコチに固まったまま、
プールの水に浸けられそうになったとたん、

「ぎゃーーー!」
と悲鳴のような泣き声をあげ、
生きのいい魚のごとく大暴れ。

あまりに激しく泣き、暴れるので、
先生も親も危険だと思い、断念したそうです。

幼少期に、最初の挫折(笑)

その後、小学校でプールが始まりましたが、
なんとなく先生の言うまま
卒なくこなしていました。

水を怖がる気持ちもなく、毎年夏には
両親とよくファミリープールに通い、
楽しく遊んでいました。

でも、姉がずっと水泳に通っていて
クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライと
かっこよく泳いでいる姿を見て憧れ、

せめて、平泳ぎとクロールくらいは
できるようになりたいと思いました。

そこで親に
「夏休みの水泳教室に行きたい」
と申し出て、行かせてもらい、
その夏に平泳ぎとクロールの基礎を習得。

25メートルなら
すんなり泳げるようになりました。

中学校で、気持ちよさそうに脱力して
プールに浮かんだり泳いだりする姿を見て、
先生が「魚みたいだね。水泳すればいいのに」
と言ったのを記憶しています。

その後、うつ病からの回復期に、
増えてしまった体重管理と、体力を戻すため
市民プールに通いましたが、
市民プール独特の暗黙のルールが面倒で
通わなくなりました。

ダンスと私

幼稚園のお遊戯会で、私が全力で、かつ
あまりにも楽しく踊っていたものだから、

祖母がそれを見て
「ダンスを習わせたらいいのに」
と言ったそうです。

音楽に合わせて動くのは
当時から好きだったみたいです。

でも、ダンス教室があまりなかった時代、
そのまま何事もなく過ごし、

高校の時だったか、
創作ダンスをする授業があり、
グイグイタイプの人たちが考えてくれた
ダンスを覚えて踊っていたら、
クラスメイトから

「80年代のアイドルみたい」
と失笑を受け、
ダンスはやめとこうと思いました(笑)

陸上と私

小学生の頃は、男の子たちと
体を使った遊びばかりして過ごしていました。

自由時間は必ず教室を飛び出して
外で走り回ったりしていたこどもです。

でも、5・6年生になると、
塾に通う人と、通わない人の軋轢ができて、
塾に通っていた私は、
女の子たち共通の話題や男女の恥じらいなど
お年頃の友だちたちの心理も理解できず、
徐々にクラスで浮く存在になっていきます。

そんな私を見て、当時の担任の先生と
運動が得意な先生が一緒に陸上サークルを
するから入らないかと、こっそり誘ってくれました。

数人、先生からの誘いに乗れた
有志のこどもたちだけで
毎朝学校に早く集まって
陸上の基本からしっかり教えてくださいました。

今考えると、
あの活動をしてくださっていた先生方は
他の先生方から白い目で見られていたかも。

時には週末に出かけ、
陸上練習施設でクラウチングスタートの
本格的な練習もさせてもらえて、
登下校の行き返り800mを
ほとんど走って移動していた私は
走るコツをたくさん教えてもらえて、
苦痛な塾の抑うつも晴れたので、
楽しくて仕方ありませんでした。

最後に織田記念の小学生の部に出場し、
駅伝も経験して、その成績は忘れる程度ですが、
これがあったから最後まで小学校に通えたと言える、
人生の楽しい思い出の一つです。

自転車と私

小学生時代、
体育の授業もそれなりにこなしていたし、
特に運動に苦手感は持っていなかったのですが、

自転車には乗れませんでした。

小4の頃、父に教わりながら
一応、練習はしたのですが、
全くコツがわからないし、
こけたらすごく痛い。

とりあえず乗れたことになったので、
友だちと自転車で遊びに出かけたら、
帰りに道の角を曲がり損ねて転倒。

めちゃくちゃ痛いし、恥ずかしいしで、
「自転車は二度と乗らない!」と宣言。

その後、友だちが自転車の時は、
移動中ずっと走って追いかけてました。

そして、そのまま高校卒業(笑)

大学入学が決まって、入学前に、
姉と母から練習に付き合ってもらい、
もう一度練習しました。

やはり、曲がることができず、大転倒。

悔しくて、原因について考察を重ねていると、
「ハンドルを切る」と思うからいけないんだ
ということに気づきました。

私は曲がる時に、曲がらなければと思うあまり、
ハンドルを思い切りひねって、
急カーブしようとしていたのです。
だから、こける。

それに気づいて、ハンドルを数度曲げて
それをキープするようにしたら、
うまく曲がれるようになりました。

こんな感じで、ブレーキやバランスのとり方も、
体で覚えるより、考察を重ねて理論的に解決する方法を
自転車では学べた気がします。

当然ですが、
おかげで行動範囲がかなり広がりました(笑)

剣道と私

中高一貫校に入った私は、
どこかクラブ活動に入ることが必須でした。

でも、そこには陸上部が無かったし、
文化部に音楽系のクラブで
入りたい所がなかったので、

悩んだ挙句、ずっと時代劇が好きで、
日本刀でバッサバッサと悪党を倒す姿に
憧れを持っていたので、
剣道部に入ってみることに。

でも、入部したての私たちを待っていたのは、
「声だし」という儀式めいた練習。

体操服を着た状態で、外で、
他の運動部の人たちが練習している目の前で
一列に並ばされ、
「めーん!」「こてー!」「どー!」と
叫べというのです。

これは剣道なのか?と思いながら、
イヤイヤしていましたが、声なんか出ません。

時代劇の中の登場人物が
今から切りたい場所を叫びながら
やっつけるなんてこと、
絶対になかったからです。

後に、剣道は武道と言いつつ、
スポーツ化されていて、
自分が叫んだ場所に当たって、
その気合?と共に判定されるっぽい話を聞き、

これがやりたくて剣道部に入ったんじゃない。
やる気がなくなり、幽霊部員に(笑)

その後も色々ありましたが、私は
剣道にはもう未練がありません。

型を教えてくれた、
外部からの先生に相談した時に私に勧めた
「居合」には、今でも興味はありますが、

真剣を使うとなると、うっかりが多い私には
危険すぎるスポーツで、
「あ、ゴメン!」じゃ済まなくなるので、
怖くて手を出せないでいます。

バスケットボールと私

ズバリ、漫画「スラムダンク」の影響です(笑)

そして、その時たまたま
「能代工業」という仙台の高校で
大活躍中だった田伏雄太選手の存在、

また、NBAで大活躍中の
マイケル・ジョーダン選手などの存在が
大きかったと思います。

家族でハワイ旅行に行った際も、
アラモアナショッピングセンターで
日本では手に入らなかった、ナイキの
エア・ジョーダン(バスケットシューズ)
を買ってもらいました。

バスケットボールの試合を見ては、
人間の可能性に興奮していました。

二人とも、そのスポーツでは
そんなに体格に恵まれているわけではない。

でも、そういうことを全部受け入れた上で
きちんと自分の頭で考えられる聡明さがあり、
自分用のスキルアップの方法を編み出して
毎日毎日、貪欲に努力を重ね、
自分を磨き続けてきたからの活躍。

イチロー選手もそうだと感じます。

私はそういう人に憧れます。

でも、バスケットボールをはじめ、
少しだけ練習はしましたが、
バスケットボール部の顧問は
大嫌いな人だったので入らず、
弟と少し遊ぶ程度で終わりました。

ボクシングと私

これまた、
漫画「はじめの一歩」の影響です(笑)

色々なボクシングの試合を見ていたら、
自分も真似したくなって、

実家から自転車で30分くらいの場所の
小学校の体育館で毎週開催される
ボクササイズ教室を見つけて入りました。
(当時、23歳前後だったと思います)

毎回、汗だくになりながら練習、
週末は、自主トレで走ったり、縄とびの練習。

ボクササイズと言いながら、
バンデージの巻き方もマスターして、
サンドバッグをたたいたりもしていました。

そんなある日、先生から、
「マスボクシングやってみる?」と言われました。

実際の試合の寸止めバージョンです。

私は、ボクシングをしている人たちの目線が
ずっと気になっていたので、喜びました。

実際やってみると、とても楽しかった。

寸止めと言えど、お互い当たるんですよね。
でも、私は不思議と怖くなかったです。
ずっと相手を見据えていられて、
「ああ、これがボクサーの目線か」と感動しました。

でも、ハード過ぎて、
終了後トイレに駆け込みましたが…

すると、今度は「試合に出てみない?」と言われ、
「はい!」と言ったものの、なんだか急に怖くなり、
「そんなに大事になるなんて、思ってなかった」と逃亡(笑)

もし、あの時、練習を重ねて試合に出ていたら
どうなっていただろう?

私の人生の心残りの一つです。

筋トレと私

うつ病で、すっかり体力が落ちてしまい、
筋肉も激減、体重は激増。
スーパーへの買い物だけでヘトヘト。
足元もおぼつかず、よく足首を痛めていて、
階段の上り下りが怖くなるほどでした。

そんな自分をなんとかしたくて、
スポーツセンターのジムへ行ってみたり、
市民プールに行ってみたり、
散歩を始めてみたり、
家でYouTubeを見てダンスしてみたりなど、
とにかく、もがいていました。

そんな中、ダイエット関係の情報を漁って
研究していると、徐々に、
筋トレというものに
そのすべてが終着していくことに気づきました。

どんなスポーツをするにしろ、
自分が好きな活動をするにしろ、
結局は体の筋肉を自分の思うようにデザインする
筋トレという作業が必須になるらしい。

しかも、筋肉をつけると
体重が減らなくても締まって見える
っていうじゃないですか。

そして、たくさんの方々の中から
なかやまきんに君さんと、
バズーカ岡田さんこと、岡田隆先生、
あとTestosteroneさんを
勝手に自分の師匠と仰ぎ、
(ロジカルで、前向きだから尊敬)
お三方の書籍やYouTube動画で勉強。

筋トレを始めました。

最初は500ミリリットルの
ペットボトルを両手に持ち
少しやるだけで「もうダメ」となりましたが、

段々と、それでは物足りなくなり、
1リットルのを袋に入れてやったりするように。

それだとできることが限られるので、
重さ調節可能なダンベルを購入。

すると、私に感化されて夫も筋トレ開始。

最終的に、トレーニングベンチと
もう少し重い調節可能なダンベルを購入。

これで、おうちミニジムの完成です(笑)

これと、散歩、食事管理のおかげで、
最高で65キロ近くあった体重が
51キロまで減りました。

ジムトレーナーという職もいいなぁと
少し勉強したりしましたが、
よく考えると、私は触覚過敏で、
他人から体に触れられたりが苦手で、
基本マイナス思考、さらにコミュ障で
さわやかさゼロ。

向いてないなと思いました(笑)

そして、引越しのバタバタで左肩を痛めて
筋トレが満足にできなくなり、

パン屋のバイトのストレスが
きっかけで徐々に体重が増えていて、

肩が治ってきたので
なんとかしなきゃとリハビリがてら
リングフィットアドベンチャーに
勤しみつつ、少しずつ筋トレ復活中です。

以上、私と運動の関係について
書いてみました。

こうしてまとめてみると、
私と運動には、他人や憧れが関わっていて、

運動したくて運動するというよりは、
誰かに誘われたからとか、
憧れている人を追いかけて運動することが
多いように思います。

今回もとても長くなりましたが、
最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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