雀荘メンバー時代その1(絶対勝てない麻雀編)
「絶対負けない麻雀」
これは俺が昔麻雀を覚えてから、初めて買った本である。
中学生から小島武夫の麻雀に魅了され、いつか自分もこう言う打ち方で勝てるようになりたいと思っていた。
それからというもの、リアルやネットで麻雀を打ち続け、気がつけば俺は大学を留年していた。
原因は明らかに遊びすぎである。
4年生で留年したため、次の年になると他の友達は大体卒業していなくなっていた。
そうなると一人で受ける授業が多く、学校に行くのが嫌になり、さらに出席率が下がっていく悪循環に陥る。(頑張って行けばいいだけである)
出席を取る授業と、レポート提出で単位が取れる授業は辛うじで出席していたが、それ以外の授業は途中から完全にサボるようになっていた。
そうなるともちろんテストが解けず、再留年がチラつきパニックに陥った俺は、この状況で何かできる事はないかと考え、テスト用紙の空きスペースに、
「今年も留年したらマジでヤバいです。単位を下さい。お願いします。本気です。」
みたいな事を書いていた。
しかしその成果もあってか、必要単位数ピッタリでなんとか大学を卒業する事に成功する。
出席もせず、全く解けなかったテストがいくつかあったのにも関わらず、3つぐらいの授業で単位が貰えていたのである。
何でもとりあえずやってみるものである。
俺はこの、やらないよりはやった方がいい程度のちょっとした努力が身を結んだ奇跡の出来事を「単位取得の為の海底ずらし」と名付けた。
(今思いついて名付けた。何でも麻雀に例えてしまうあたりカスである)
しかしろくに就活もせず、あろうことかニートの状態で実家に帰る事になる。
経済学を専攻して大学に入学したものの、仙台に住んだ5年間でスキルアップできたものは、雀力とスロットの目押し力だけであった。
実家に帰ると、母親はそこまで何も言わなかったが、お前何しに大学行ったの?という心の声は完全に漏れていた。
父親に会ったら説教されると思ったが、俺が帰ってきた事より、パソコンの新しいピンボールのソフトの方に夢中になっていた。
ハイスコアが出たのか上機嫌で、初めてピンボールに感謝した瞬間でもあった。
久しぶりに自分の部屋に戻ったが、特に何もする事がなかったので、部屋にあったハンターハンターの単行本を5日間ぐらい無限にループして読んでいた。
(誰も共感してくれない一番好きなシーン「陰獣vs旅団」)
その後は、仕事どうしようと思いながら毎日パチンコ屋に向かっていた。
基本的に、朝一から閉店までパチンコ屋にいた。
親には適当にバイトしてるという感じにして毎日外出している内に、気がついたら俺の分のご飯が用意されなくなっていた。
しかし、ニートの分際で「ご飯作って」とは言えず、それからは、ウィダーinゼリーとからあげくんを主食とする生活が始まった。
朝パチンコ屋に行く途中にウィダーinゼリーを買って飲み、夜帰る時にからあげくんを買って帰るといった具合である。
途中で、このままの食生活では栄養が偏ると思ったが料理とか出来る訳もないので、青のウィダーinゼリーから、緑のウィダーinゼリーに変えたりしていた。
からあげくんに関しても同様である。
ウィダーinゼリーを飲むたびに、これ10秒でチャージできる奴って肺活量やばいなと思いながら飲んでいた。
「スロプーの憂鬱」
当時のパチンコ(スロット)は、少し頑張れば簡単に勝てる機種が多かった。
(ニート時代を支えたハネモノの名機。ポチッと一発おだてブタ。
当時これを打ちすぎて、羽が開く時のBGMが頭の中で一生鳴り続ける夢を見た)
朝一から打ち始め、ノンストップで閉店ギリギリまで大当たりを狙う貪欲な姿勢と、あまりにも正確なハンドルさばきから3店舗出禁になった武勇伝については、いずれnoteに書いていきたい。
地元のパチンコ屋は9時開店の23時閉店。
毎朝8時半に家を出て、夜23時半に帰宅する生活が続いた。
家に出入りする時間で親に毎日パチンコしているのを気づかれないように、静かに家を出て、静かに帰宅していた。
この状態が3ヶ月ぐらい経過する頃には、家のドアを無音で開ける術を身につけ、家の中を歩く時も自然に抜き足、差し足になっていた。
足音を立てずに歩く技術に関しては、ゾルディック家にも引けを取らないほどのレベルに達していただろう。
しかし、しばらくこの生活が続く内に、俺毎日何してんだろうという気持ちが強くなっていった。
生活費を稼ぐためのパチンコは、どんな結果が出ようが虚しさしか残らなかった。
お金が貯まってきたら買い物したり遊んだりして、またパチンコして貯めるという何の未来もない無限ループだったのだ。
朝から閉店までパチンコを打った後の帰り道のどことない負の感情は、徹夜で麻雀した後の虚無感とよく似ていた。
朝はパチンコ屋に並びながら、いつも朝一から並んでいる常連らの姿を見て、
(こいつら、どうしようもない奴らだな)
と思ったが、多分あっちも俺に対してそう思ってる事に気づき、テンションは下がっていく一方であった。
そんな堕落した生活を続けていたある日、いつものように23時半頃家に着き、無音で部屋に戻ると、急に母親からリビングに呼び出され、
「いつもパチンコでもしてるの?いい加減バイトでも何でもいいからしなさいよ」
と言われた。
母親はセンリツ並の聴力の持ち主だったらしく、俺が毎日夜遅くの一定の時間に帰ってきていたのに気付いていたのだ。
俺の部屋にある無数のパチスロ雑誌が見つかったのか、バイトしていないのも、パチンコ屋に行ってるのも何となく気付いていたのだろう。
母親に軽く説教されている中、ピンボールに夢中で絶対話を聞いていない父親まで、そうだそうだみたいな感じを出していたのは少し納得がいかなかった。
しかし、悪いのは完全に俺なので、この生活はやめてとりあえず何かバイトするかと思い、選んだのが雀荘だった。(地獄への入り口)
「本走の恐怖」
さっそく駅の近くの雀荘に面接を受けに向かった。
店に入ると店長が一人だけいたのだが、見た目が完全にヤ◯ザだったので、そのまま店を出て帰ろうかと思った。
しかし逃げる暇もなく面接が始まり、人が足りないから明日から入ってと言われ、すぐにバイトは始まった。
本走については店長から、
「本走の時、とりあえずモロ引っかけはしないようにね。それ以外は特に制限はないけど、まあ色々やりながら覚えてって」
と言われた。
これを聞いて俺は内心勝ったと思っていた。
雀荘メンバーには様々な打牌制限があるという話は聞いた事があったが、この店はモロ引っかけ禁止なだけらしい。
(ハンデはそれだけでいいのか?俺クラス本走に入れば給料大量上乗せ確定だぜ)
身の程知らずだった俺は、後に訪れる地獄など知らずにイキっていた。
バイト初日から本走に入る事になるのだが、今思い返しても最初の頃の本走は笑えないぐらいにひどかった。
ただモロ引っかけをしないだけで、それ以外に関してはやりたい放題。(特にマナー面)
裏めった牌を引けばナチュラルに軽く舌打ちをし、大きな手をアガった時は指を折って役を数え、全盛期ともなると一度切った牌を手牌に戻そうとしていた。(マジです)
メンバーとしてどうこうという次元ではない。ただ単純にクソ野郎である。
こんな事を平気でしようとするぐらいなので、裏ドラが乗らなくて首を傾げるぐらいは朝飯前である。
あの頃よくお客さんに殴られなかったなとも思う。
入りたてだったので、もしかしたら皆優しくしてくれていたのかも知れない。
〔最近Twitterで、某雀荘(zo◯)のメンバーにまつわる面白エピソードが流行り、ニヤニヤしながら読んでいたのだが、自分も他人の事言える立場じゃない事に気づき、ニヤニヤするのをやめた〕
しかし日が経つにつれ、当然店長や先輩の従業員やお客さんに、色々と注意されたり怒られたりする事が増えてきた。
しかしそのおかげもあって、なんとなくメンバーがやってはいけない事がだんだんと分かってきた。
例えば、
・第一打に風牌を合わせてはいけない(四風連打にならないように)
・オーラスは、基本的に着アップなしのアガリはしない(ラス確は絶対ダメで、二着から二着は点差によってはセーフ)
・オーラストップ目で、お客さん同士の着順が変わるアガリはしない
・少しでも腰を使ったと思ったら、その色の牌では出アガリしない。
また、テンパってる状態で腰を使ったら、次に手出しするまで出アガリしない。
等。他にもたくさんある。
※最近ではメンバーが制限を受ける風潮はかなり薄れてきた。
やってはいけない事と言ったが、この店でメンバーに制限されているのは飽くまでモロ引っかけ禁止という事だけなので、やってもルール上は問題ない。
しかしこれらをやると、人によっては文句を言うお客さんもいるし、なんとなく空気が悪くなるのだ。
毎回本走に入るたびに注意されたり、それによって空気が悪くなるのがイヤになってきた俺は、一度注意された事は繰り返さないようにしようと心がけた。
その結果、麻雀の打ち方はかなり制限されるものの、だんだんと注意される事はなくなっていった。
それよりも嬉しかったのは、お客さんが楽しそうに打ってくれるようになった事だった。
そして、その喜びと引き換えに俺は給料を失った。代償はデカい。
雀荘メンバーは大体3つのタイプに分かれると思っている。
A、麻雀も勝ち、周りからも好かれるタイプ。
B、麻雀は勝つが、周りから嫌われるタイプ。
C、麻雀は負けるが、周りから好かれるタイプ。
(麻雀も負けて、周りからも嫌われる人もいるかもしれないがあまり見た記憶がない。そういう人はすぐに辞めるからかもしれない)
もちろんAのタイプが最強である。
その雀荘の先輩の中にも、Aのタイプのメンバーが1人いた。
麻雀はやりたい放題やってるのに皆から好かれているのだ。
普通、勝っているメンバーはお客さんから見て良い印象にはならない事が多い。
俺は給料があまりにも残らないので、その先輩に相談してみた事がある。
するとその人は、
「打牌に色々制限かけても損するのは自分だけだよ。それよりもオーラストップ目で、かっぱぎリーチ打って『デカトップあざーす!』って言っても許されるキャラになればいいんだよ」
と言っていた。
俺は「そういうもんなんですかね」と言いながら、心の中で思った。
ただ実際に、その人が勝ちまくっている時でも周りは楽しそうに麻雀を打っていた。
自分がボコボコに負けている時でも、自虐に走ったりして周りを楽しませようとしている。
場の空気を見極める能力が高く、どんなに勝っていてもお客さんの機嫌を損なわないようにするのが上手いのだ。
たしかにこういうキャラが最強だと思ったが、ある種の天才にしかできない所行である。
俺のような凡夫に為せる業ではない。
そこで考えた。
「空気を悪くして給料を守りにいくか」と「給料を捨ててお客さんと楽しく打つか」のどちらを取るかである。
その結果、「給料は捨てて、その分パチンコで給料を補おう」というゴミみたいな結論を出した。
その頃はアパートを借りて一人暮らしをしており、最低でも家賃光熱費分ぐらいは確保しなくてはならなかったのだが、このままの給料ではそれすらも危うい状態であった。
その時バイトを辞める選択肢がなかったのは、あの地獄のような生活(スロプー)に戻りたくないのと、こんだけ負けてもなんだかんだ麻雀が好きだったからだろう。
バイトは遅番で、基本的に夜から朝までだった。
幸か不幸か、ちょうどパチンコ屋が開く時間にバイトが終わる事が多かった。
バイトが終われば朝一パチンコ屋に行き、パチンコが終わればそのままバイトに行った。
そのまま寝ないで次のバイトに出る時は、眠さと疲労と耳鳴り(パチンコの大音量)からぐったりして、ゾンビのようになりながら麻雀を打っていた。
さすがにその次の日は限界が近づいているので、バイトが終わったらすぐ帰って寝ていた。
しかし給料がなさすぎる時には、ゾンビの状態でさらにまた朝一パチンコ屋に行き、寝ながらパチンコやスロットを打っていた。
この、身体を酷使してまで2日連続でパチンコで給料を取り戻しに行く行為を「倍プッシュ」と呼んでいた。(どうでもいい)
倍プッシュから、夜またバイトが始まる。
2日連続でろくに寝ないでバイトともなると、初期のハンドガンでは倒せないぐらいゾンビ度が増している。
またこの頃になると、俺はお店では完全に負けキャラが定着し、本走に入るたびにフルボッコ。オーバーキル。ヘッドショット。
あまりにも毎回給料がない為、俺ここで働く意味ないんじゃないかと思う事もあったが、いつも麻雀で俺から給料を奪っていくお客さんに、
「お前の負けた時の顔見るために来てるんだぞ」
と言われた事で、何とか存在価値を見出していた。
一応バイトを続ける事で俺の生活は、以前の働かないで毎日パチンコするかなりクソみたいな生活から、バイトしながら毎日パチンコをする普通にクソみたいな生活へと昇格した。
そしてその後も本走は何事もなく負け続けた。
小島武夫の本を読み、「絶対負けない麻雀」を目指していた俺は、気がつけば「絶対勝てない麻雀」にたどり着いてしまっていた。
入店当初あれだけイキっていた俺は、いつしか本走に入るのが恐怖でしかなくなっていた。
そのメンタルの変貌っぷりは、最初はネテロ会長に舐めた口を聞くほどイキリまくって登場したものの、敵の禍々しい念に触れ一瞬でハゲるほどに戦意喪失してしまったノヴそのものであった。
その後、給料面以外何のトラブルもなく行くかと思われたメンバー生活だったが、その雀荘に次々と訪れる数多の刺客(厄介なお客さん)により、様々な不可解な事件に巻き込まれる事となる。
次回はこれらの事件について紹介していきたい。
続く。
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