本と父のこと

私は本を読むことが苦手だった。活字、特にカタカナが苦手なのは今も変わっていないかもしれない。小学1年かその辺りだったかな、これまた苦手な父がくれたアンデルセンの偉人物語的な本を読んだときのこと。「彼の名前は『ハンス・クリスチャン・アンデルセン』といいました。」というたったそれだけの文に衝撃を受けた。長いよ!間の点は何よ!そこでしばらく呆然。なんとか前に進むも、その後「ハンスは」だったか「アンデルセンは」だったかの表記は忘れたけれど、彼の名前が出てくる度に本当の名前はなんだったっけ?と、いちいちその衝撃を受けたページに戻っては確認するを繰り返した。結局何も頭に入ってこず途中で挫折。
子ども心を掴む絵本作家の伝記で、絵本ではなかったけれど、本を読む、ということから一人の子ども心は確実に離れていった、という落ち。
その後も、現代文で、この文章から作者は何を伝えたかったのか等の問題でも、そんなの本人しか知らないよ、と汲み取ろうとしなかった。だからか、本を読む機会があっても、読みながら違うことばかり考えてしまい、やっぱりろくに頭に入らない。

おとなになって、そういえば、父が本を読んでる姿も見たことないなとふと気づき、なぜ読まないのか訊いてみた。
「俺、本ダメなんだよ。違うことばっかり考えてしまって全然頭に入ってこないんだよ」
またもやな衝撃。私が本が苦手になったのはアンデルセンのせいだと思っていたけれど、それをくれた苦手な父の遺伝子だとしたら、遺伝子恐るべし。とにもかくにも、良くも悪くもじゃなく悪くも悪くも父の影響を受けているところは多々あると感じている。子どもはその親を選んで生まれてくるとか因果応報とか最近よく聞くけど、だとしたら、私は前世で何をやらかしちゃったんだろう。なぜ父が苦手なのかということは、例えば暴力を振るわれたとかならわかりやすいかもだけど、そういうのではないのでなかなか難しい。

noteを始めようと思ったのは、こっそりひっそりやっていたブログからはみ出して、誰かが読んでくれるかもしれないということをもっと意識することで諸々なことが克服できたり見えてきたりするのかなということと、人に勧められたのもあって。ただ、電車の中とか外でスマホをいじるのが基本苦手。歩きスマホしてる人は論外。とにかく苦手なことが多い。本をいっぱい読んでこられた方には、まるでなってない文章力もきっとバレバレかな、、

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