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彼女の子供に会ってきた

この続き。あとで見返した時に発見もあるかもしれないからその意味でも今後つらつら書いていこうと想う。


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遂に彼女の子供に会ってきた。

もともと僕は子供に好かれやすいと周りから太鼓判を押されていたので、意外な感じはしなかったけれど、やはり最初は緊張した。

改札の向こうから、ベビーカーを押しながらゆっくりこちらに歩いてくる人影。

前に会ったときとは少し違う、ママの顔をした彼女だった。

事前に、息子さんに会ったらどんなコミュニケーションを取ろうだとか、そんなことも考えていたけれど、実際目の当たりにするとそんなこと吹き飛んでしまった。

でも彼女のサポートもあって、少しずつゆっくりコミュニケーションを取らせてもらい、思いの外打ち解けるのは早かったように思う。


具体的には彼女に促されて、手を繋いだ。

その子はあまり人見知りはしないようで、嫌な顔一つせず、僕の手をギュッと握ってしばらく離してくれなかった。そのことが、とても嬉しかった。

まあ、もしかしたらママの教育がとても上手で、絆があるから、感情とか抜きにそれに従っていた可能性だってあるけれど、それでも僕には十分だった。


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一緒にお昼を食べて、ショッピングモールを歩き回る。勿論手は繋いだまま。

上着を着るだとか、様々な事情で手を離すことがあっても、すぐに

「ん」

と左手を差し出してくる。握れと言わんばかりに。


可愛すぎかよ・・・。


ひとしきり目当てを達成したら、外の公園を歩くことになった。

そういうしているうちに僕にも次第に笑顔を見せてくれるようになってきた。

時間が経つにつれ、こちらからからかうことも、逆にからかわれることも増えてきた。

笑顔がとっても可愛い男の子だ。ママにとてもよく似ている。

この子はきっとモテるだろう。


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その子との関わりの中で、思ったことがある。

「僕がその子の父親になることは、とてもとても時間がかかり、困難な道」ということだ。

勿論、彼女が許し、周囲の人間が許し、環境が、情勢が許しさえすれば、社会的な意味合い、あるいは人間関係的な意味でも僕はいつでもなってやろうという気でいる。

それでも僕は、その子にとっての肉親ではないのだ。

ママと仲の良いニイちゃん、もしくはおっさんであり、それ以上でもそれ以下でもない。


その子が駄々をこねたとき、僕には叱る権利がない。

その子がお昼寝したくなっても、僕にはそれを察知できない。

産みの苦しみはおろか、乳児期の君と向き合ったことすらない。


前回の記事にも書いたことだが。彼女の「子供がいる」という言葉を聞いたとき、僕は「家族に、親になる覚悟が必要なのでは?」と悩んだ。

が、そもそもそんな悩みは的外れなことだった。

そんなすぐに家族になんてなれるはずがないのである。

当たり前のことだ。なんて思い上がりだ。恥ずかしい。


しばらくはママと仲の良いニイちゃん、もしくはおっさんとして、少しずつ、じっくりと仲を深めていこうと思った。

少しずつ当たり前の存在に少しずつなっていけばいい。

そう思った。

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