ロ短調ミサ曲で礼拝をしたら

 東洋美術にせよ西洋美術にせよ、美術館の展示ケースに並ぶ多くの品を眺めていると、「元はどんな場所に置かれていて、どんな役割を果たしていたのだろうか」と思わされる。そういったことを抜きにして「もの自体に迫る」というのが、博物館/美術館に負わされた役割(幻想)のひとつ。だから「元の場所」や「元の役割」を考えてしまっては文字通り「元の木阿弥」なのだけれど、そうしたくなってしまうのは、そんな本来の文脈で発揮されていた力や輝きを体験してみたいからに他ならない。
 音楽でも同様で、とりわけバロック期以前 - 音楽が社会の中に確固とした位置を占め、生き生きと活躍していた時代 - の楽曲となると、その思いも余計に強くなる。バッハの《ミサ曲ロ短調》はそんなバロック期の最後の華であり、西洋音楽史上最大の音楽作品と言っても過言ではない。
 実のところこの《ミサ曲ロ短調》には少し特殊な事情がある。バッハが生きている間には全曲の初演が行われなかった。そもそも何のために作曲されたか定かではない。だから「元はどんな場所で演奏され、どんな役割を果たしていたのだろうか」という点に決定的な答えはない。ここではそれを逆手に取り、《ミサ曲ロ短調》を「仮想の18世紀文脈」に流し込んだら、どんな姿が現われるか試してみたい。

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