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終わりがあるから頑張れる

自分は元々、教育関係でも、塾関係者でもありません。
寧ろ人に教える事そのものもあまり得意でも無く。今までの仕事もいわゆるIT周り(どちらかというと肉体労働系のITですが)。フィリピンに来たのも上海支店を立ち上げた部分と、英語が元々できる(留学してたので)という部分で選ばれて来た形です。

過去10年以上某国際スポーツイベント(年末開催)を担当しており、外国人担当者と共にイベントを成功させるべく、インターネット接続の提供、英語PCの設置やメディア関係者へのテクニカルサポートなどを担当していました。

この当時から、広告代理店さんと一緒にお仕事をする機会があり、日本では今かなり叩かれているようですが、彼らと10年に渡り一緒に仕事をさせて頂いた中で今でも心に刻み込んだ言葉があります。

国際イベントは、一発勝負です。インターネットもその場で繋がらなければすべてが台無しです。
試合開始の笛が鳴るまで、それこそ、ものすごい緊張感。当然それまでに入念な準備をして望みますが、この緊張感は吐き気がする事しばしば。
準備といえど、1日、2日の徹夜は発生するし、試合が始まる前から終わるまで正直あまり寝れません。

毎回同じセットアップでやるとはいえ、ITは進化していきます。英語だけでは無く、他の国の言葉のPCなどもサポートするのはコミュニケーションも含めて非常に難しいです。当然途上国から来る方が持ってくるPCに不具合があったり、限られた時間でサポートを完了させる必要があります。
メディアの方は特に時間がありません。彼らも仕事で来ており、余計な時間など元々ありません。

我々のチームはいわばそのイベント度にメンバーも入れ替えを行ったりします。フィリピン人も最後の2年は6名参加させて英語対応を手厚くしました。当時フィリピン人はあまり認知されてなかったのですが、英語が話せる上サポートもできたので、重宝されました。この時点ですでに私はフィリピンで駐在しておりましたが、今後日本で行う国際イベントで外国人が仕事をする可能性を感じていました。

ただ、それでも日本語はできません、当然ですが、日本語でのサポートはできませんから、日本チーム関連の仕事は大変です。
簡単な自己紹介だけを反復練習させて、外国人としての垣根を下げていくような対応をしたり、スマホで日本語から英語へ通訳、翻訳したりしながら対応など、よくやってくれたと思います。

私は、それらをまとめる為、非常に心労の重なる激務をくぐり抜けて行きます。当然好意的な人もいれば、非好意的な人も多いです。
外国人がサポートなど、なんで?って人も多く、やはりキメの細かいサポートまでは至らないので、どうしても文句を言われるし、嫌味も多いです。
ほんとイライラするし、カチーンと来ることもしばしば。でもぐっと堪えます。

そんな中、我々業者をまとめる方がいらっしゃいます。
その御方はもうこのイベントの生き字引です。すべてにおいて完璧にこなせるし、まとめていくし、かつIT部分にも理解をしてくれます。
ほんと極限までご自身を追い込んで仕事をされているし、それを見たら自分たちなんでまだまだだなって思うぐらいです。

その人から言われた言葉これでした。

イベントってのはさ、終わりがあるから頑張れるんだよね。トラブルなんてブルドーザーみたいになぎ倒していくんだよ。


この言葉を聞いたときに、バットで頭をぶっ叩かれたような衝撃を受けました。自分は嫌味を言われたり、文句を言われたりが続いてほんとイヤイヤな時が多かったんですが、よく考えたら、イベントが終わるまでの辛抱なんです。この言葉を聞いた時に、自分が前へ踏み出せたと思っています。
あくまで大局を見て、どんな困難が目の前に起きても、トラブルなんてブルドーザーでなぎ倒す!

終わりを設定して頑張る!正直いろんな啓発書でもよく書いてありますが、普段の仕事はイベントと違い、終わりはありません。
ですが、やはり目標や目的はどこかで設定して、イベントとして捉えています。

今フィリピンで起業し、学研教室のマスターフランチャイザーとして事業をフィリピンでスタートします。
会社の立ち上げ、従業員の雇用、許認可の取得、資金繰り。全てがうまくいくはずありません。
正直一つをクリアすれば更に過酷な次が待っていますし、それをクリアしても更になにかが起きます。
英語は話せますが、タガログ語は話せないのでタガログ語オンリーのシチュエーションだと本当に苦労します。
でも、それもイベントだと思って、トラブルなんぞなぎ倒す!

どんだけしんどくても、終わりはあります。その日の夜は別に解決できてもできなくても終わりなんです。
海外で仕事をするとタフになると言われますが、自分は日本のイベントでタフになりました。というか、あの業界の方は皆さんタフです。
身を焼かれるような痺れる仕事でした。終わったあとは廃人のように誰とも会わずとにかく静養してたましたが、でも1ヶ月もすれば・・・・

あの環境に戻りたいな・・・


って思うんです。不思議ですよね。
もうぅぅぅ嫌だ!と思ってても、身を焦がすような仕事ってちょっと中毒になります。
なので自分はフィリピンで起業するなんて思ったんだと思います。
そしてあまり深く考えてません。。トラブルはつきもの。
いろんな事が同時に起きて、毛が抜けます。
でもやはり自分は身を焦がすようなヒリヒリした緊張感で10年やった経験があり、あれに比べれば普段の仕事なんぞ「はぁ?」です。
6万人がフルで入ったスタジアムで仕事をして、やり切った自信は絶対にゆらぎません。

なので今も不安バリバリですがそれでもどこかでなんとかなるさ、なんとかするさの自分がいます。

道は前しかありません。戻る事はできません。進むしかありません。
踏み出す先にしか結果は無いんです。

なので終わりが来るまでやる!




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