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心のある道

「知者は行動を考えることによって生きるものでもなく、行動をおえた時考えるだろうことを考えることによって生きるものでもなく、行動そのものによって生きるのだ、ということをお前はもう知らねばならん。知者は心のある道を選び、それにしたがう。そこで彼は無心に眺めたりよろこんだり笑ったりもするし、また見たり知ったりもする。彼は自分の人生がすぐに終わってしまうことを知っているし、自分が他のみんなと同様にどこへも行かないことを知っている。」

道のゆくさきは問わない。死すべきわれわれ人間にとって、どのような道もけっしてどこへもつれていきはしない。道がうつくしい道であるかどうか、それをしずかに晴れやかに歩むかどうか、心のある道ゆきであるか、それだけが問題なのだ。所有や権力、「目的」や「理想」といった、行動をおえたところにあるもの、道ゆきのかなたにあるものに、価値ある証があるのではない。今ある生が空疎であるとき、人はこのような「結果」のうち、行動の「意味」を求めてその生の空虚を充たす。しかし、道ゆきそのものが「何もかもあふれんばかりに充実して」〔…〕いるかぎり、このような貧しい「結果」のために人は争うことをしない。〈心ある道〉をゆき〈美しい道をしずかに歩む〉人びとにとって、蓄財や地位や名声のために道を貧しく急ぐことほどいとわしいことはないだろう。

真木悠介『「気流の鳴る音」ーー交響するコミューン』ちくま学芸文庫、2003年

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