映画をはしごするという生き方


自分は人生で2-3回しかないわ。
その中でもヴェリテの川島雄三特集→お昼ご飯→ID4がいちばん時間的に近いかな。
そういう意味じゃ純粋にはしごとかないかも。
今は1人でしか見ないけど当時1人で見るなんてことはなかったからどっちかはデート、どっちかは付き合いやしな。
って思ったけど宿代わりのホクテン座ってパターンもあったわ。
いずれにせよ生活の一環としてのはしごしかないってことやね。

SNSではしご原理主義勢がどういう人種かってのも可視化されてるわけやけど建前上は空いてる休日にまとめて見ておきたいってゆうとるね。
でも一般的な思考してたらその選択肢の中でどれがいちばん見たいのか選択してそれを見るってなるわね。

この時点でちょっとおかしい。

本質的には映画を鑑賞賞するっていうイベントが好き、いわゆる映画鑑賞中毒者。
おいしいと思わないのにタバコ吸っちゃうすぐ消してを繰り返してる感じ。

アダビデレンタル直撃世代なら複数本借りても結局一本しか実用化しないの法則って体感してるやん?
で、実用化されたヤツの記憶しかないっていう。

コレに関しては人間の根源的機構だと思うわ。
めちゃいい映画に当たったら同日に視聴した普通に面白い映画の評価って下がるはず。
こんな視聴スタイルとってる奴らの感想とかクソの役にもたたんって考えるのが健常な理解力ってもんやろ。

サブスク化、無料化で知覚する機会も多いと思うけど人間て構造的に似た創作物を連続で選んで消費してるから余計にその中での優劣が実質評価になりがちやろね。
まあ自由意識などない、ただ何かをしないという選択には少しの自由意識が介在してるように感じられる‪(‬実際にはそれも違うわけやが‪)‬。
はっきりゆうて何かをしない方が知的に思える、それがまともな大人ってもんよな


#映画鑑賞 #おたくあるある

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