あの空の青の青さは

未来について考えることは、ある意味で過去について考えることである。

もちろん人にもよるのだろうが、自分の場合未来について考えるという行為は、自分は一体何者なのか、どういった人生を経て今ここにいるのかを考えることから始まる。なので、時々こうして過去を振り返る作業が必要になる。正直あまり楽しい作業ではないのだが、仕方ない。前に進んでいくための、生きていく上での通過儀礼のようなものだと思っている。

自分は音楽が流れていないとうまく言葉が話せないという少し変わった人間である。ある種の言語障害なのだが、不思議と昔から音楽があるとスムーズに話せる感覚がある。今でこそ無音の状態でもある程度普通に話せるようになったが、昔は自分の名前さえまともに喋れなかった。

加えて、自分は躁鬱持ちである。今はもう通院してないし薬も飲んでいないので、正確には「だった」と言った方が良いのかもしれない。だが経験者ならわかると思うが、この症状から完全に回復することは不可能である。あくまで死ぬまでどう付き合っていくかという話なのだ。

一番大変だったのは10年前くらいで、他にも肺を患ったりひどい頭痛に悩まされたり耳をおかしくしたりと、まあひどい状態だった。自分は身長が180cm以上あるのだが、この時は体重が40kg台しかなかった。文字通り死にかけていたわけだ。

当時よく空を見上げていたのを覚えている。夏の、今おろしてきたと言わんばかりの真っ青な空を。

空を眺めてる時は余計なことを考えなくて済んだし、何より空を眺めるという行為は誰にとっても平等だった。きっと自分の生きている世界は普通の人たちとは違うのだろうが、空を眺めている時は少しだけ同じ気持ちになることができた気がした。あの空の青の青さは誰にとっても同じ色であるはずだった。

あれから10年経って、今自分はだいぶ元気である。抱えていた病気はほとんど治ったし、治らないものも自分なりにうまく付き合えるようになった。けっこうな努力もしたが運もあった。幸か不幸かはわからないが、自分は生き延びてしまったわけだ。

ただ、生き残った以上は真剣に生きたいと思っている。それが、これまで関わってくれた人たちや、残念ながら死んでしまった友達に対する自分なりの礼儀だからだ。今深夜にこの文章を書いている理由はいくつかあるが、そのうちの一つはその時の気持ちを忘れないためである。

今後の人生において、やりたいことが二つある。一つは音楽に恩返しをすること。もう一つは新しい景色を見続けること。これが今の自分の目標だ。

これは自分のための文章なので、この話に結論はない。あるのはあの日と変わらない空と、その中に浮かぶ真っ白な未来だけだ。









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