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けちゃファーストアルバム「在りどころ」評、そこに在るものと無いもの

先日シンガーソングライター「けちゃ」のファーストアルバム「在りどころ」がリリースされたので、僭越ながら私なりの感想を書かせていただきたいと思う。

けちゃは下北沢を中心に活動している女性シンガーソングライターである。柔らかいギターに、語りかけるような力強い歌声と独特の世界観を持っている。

クリープハイプの尾崎世界観が、「世界観があるね」という言葉に嫌気が差して自分の名前に世界観とつけたのは有名な話だが、シンガーソングライターにとって世界観があるのは最高の褒め言葉である。シンガーソングライターの世界と音楽を聴く人間の世界が交わる時、曲はある種の普遍性を獲得し、彼らは素晴らしい音楽を届ける存在になるのだ。

けちゃも間違いなくそういった存在の一人である。すごく経験があるわけでもテクニカルなわけでもないのだが、そこには確実に人を惹きつける何かがある。そしてリスナーはその何かを、けちゃとともに探すことになる。

「在りどころ」はけちゃにとって2枚目の音源であり、ファン待望のファーストアルバムである。アルバムタイトルは収録曲から取られているが、その言葉通り、このアルバムではけちゃの心の在りどころとこれからが歌われている。

「忘れたくない」の静かな鼓動を感じさせるギターで始まり、タイトルトラックである「在りどころ」、けちゃ節が印象的な力強い「時代は変わる」、怒りや葛藤、願いなど様々な感情が交錯する「素敵な歌」、そして最後のどこか優しさを感じさせる「冷たい花」と、全5曲ながら非常に表情豊かなアルバムとなっている。

では、けちゃにとっての忘れたくない在りどころとは一体なんなのだろうか。アルバムを聴いていると、その在りどころは大切なものであると同時に、どこか忘れたい、辛く苦しいものでもあるように感じられる。2曲目の「在りどころ」と3曲目の「時代は変わる」は一人称が「僕」ではなく「私」になっているが、この2曲を聴くと、在りどころの輪郭がぼんやりと浮かび上がってくる。

アルバム「在りどころ」を理解する上での重要なテーマは、コントラスト(対比)とアイロニー(反語)である。「時代は変わる」で歌われているのは、変わる時代ではなく変われない自分自身であり、「素敵な歌」からはある種の皮肉が感じられる。「忘れたくない」はどこか忘れたいようにも聞こえる。このように、歌われている曲全てがある種の二面性を持っており、それがこのアルバムをより濃密で深いものにしているのだ。

そしてもう一つの重要なポイントはジャケットである。「在りどころ」のジャケットに描かれている空と海は境界のメタファーであり、過去と未来を表している。母なる海から大きな空へ、このジャケットからけちゃの在りどころの変化が感じられるのだ。

それを印象付けるのが5曲目の「冷たい花」の存在である。前述のようにこのアルバムの重要なテーマがアイロニーであるならば、この曲で歌われているのは冷たさではなく温かい何かだ。もしこのアルバムが4曲目の「素敵な歌」で終わっていたら、きっと重苦しく陰鬱な印象になっていただろう。しかしこの「冷たい花」があることで、最後にどこか希望を感じさせる終わり方になっている。

1~4曲目にかけて自分自身の在りどころと葛藤を歌ってきたけちゃは、5曲目で初めて自分以外のために素敵な歌をうたいたいと言う。「未来はわからないけれど君との景色を覚えていたい」と「君の悲しみを癒せるような温かい強さを空に願う」のである。

けちゃの在りどころが、これからどう変化していくのかはわからない。おそらく、これまでの在りどころも変わらず大切なものであり続けるのだろう。しかし同時に、一ファンとしてはこれからの在りどころを一緒に見てみたいと思う。

稀有なシンガーソングライターと同じ時代に生きることができるのは、この上ない喜びである。




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