03-危うい均衡

URL:

https://open.spotify.com/episode/2DfJWJQwPnEo6VxL4xGeeG?si=afd1fd84a6524f8e

概要:

カナダの母親が経験を語る。
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こんにちは。私はカナダに住む母親です。娘のことをお話したいと思います。娘は小さい頃、紫色やキラキラしたものが好きでした。女の子っぽいものや、お人形も。田舎を走り回ることもありましたが、ジェンダー不詳といったことは全くありませんでした。

娘が12歳頃の時、自分はバイセクシャルだと思うと話してきました。休み時間に友達と話してそう思ったそうです。ほとんどの友だちも、少なくともバイセクシャルを自認していたようです。これが6年生の時で、7年生になって13歳頃になると、娘は実はレズビアンだと言いました。女の子しか好きではないそうです。どちらの時も私たちは娘の言葉を完全に尊重しました。高校に通っていた14歳の頃には、メンバーが全員LGBTQのグループに所属するようになりました。ずいぶん排他的なグループのようでした。

そのグループに新しく入ってきたトランスを自認する男の子がいました。その頃から娘は自分はジェンダーフルイド、ノンバイナリーだと言い出しました。

薬に関する事故のようなことがありましたが、娘は私たちに話したがりませんでした。その理由が、もし話したら家から追い出されると思ったのだそうです。「一体どうしてそんなこと考えたの」と訊きました。本当に驚きました。

ともかく、娘はどうして自分が女の子ではないと思うのか説明できませんでした。娘は子ども時代を改変しました。今気付きましたが、他の子と話してそうしたのです。それは明らかでした。

娘はホルモンへの関心は、少なくとも私の前では見せたことがありません。でも胸の切除手術の話はしました。今は、あれから数年経ちますが、具体的にはまだ何もしていません。服装と髪型だけです。他の大きな変化と言えば、当然学校では普段から名前と人称を変えています。学校側は隠していました。私はいつも積極的に関わってきたのにと驚きました。

今私たちはある種の平衡状態にあると言えます。お互いにこの話題を避けています。当たり障りのない話題や、他のことに集中して繋がりを保とうとしています。2年後にはあの子は家を出て、ロスの大学に行ってしまうので。

今の段階で一体何をすればいいのか見当もつきません。私はずっと怖れています。この社会が、家族という単位をここまで蔑ろにするなんて信じられません。頭が真っ白です。私は白人で、ずっと左派リベラルでした。
話を聴いていただきありがとうございます。

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