17-心の叫び

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概要:

胸が張り裂けそうな思いを抱えた母親は、同じように息子や娘を奪われた親たちとともに慰めを見出す。
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今朝Facebookが、私にはかつて部屋中を明るく照らすような笑顔のハンサムな息子がいたとリマインドしてきました。息子は画面の中からじっと私を見つめています。浅黒い肌で背の高いハンサムな息子が、浜辺に立ち、満面の笑みを浮かべて。5年前の夏休みの写真でした。覚えています。私の息子は、今は全くこの写真のようではなくなってしまいました。この思い出はナイフのように私の心を突き刺します。

3年前、私の息子はインターネットのあるグループに遭遇し、他人とうまくいかないのは自閉症のせいではなく、君が本当は男ではなくて女だからだと言われたのです。息子は今ではトランジションして、女になれるという叶うはずもない夢を達成しようとホルモンを摂っています。

今日は日曜日で、私は教会に行くのがとても楽しみでした。音楽と祈りと教えが魂を和解に導きます。教会の人々は家族も同然で、30年来の付き合いの人もいます。ですが教会に一歩足を踏み入れると、私の心はまた突き刺されました。ご両親の側に並んでそこに立っていたのは、大学から帰省中の息子の以前の親友でした。彼は息子と同じようにオタクっぽい子でしたが、今では成長し、ハンサムな立派な大人になっています。そしてまた、息子のもう1人の仲良しの友だちもいました。背が高くハンサムになって。私の心はフラッシュバックを起こし、男の子たち3人組が一緒に教会で座り、その後で他の子たちと一緒に私たちの家に来てゲームをしていたのを思い出すのです。

私はこの悲しみに飲み込まれてしまいました。今日、音楽は壁に跳ね返り、私の元には届きません。音楽が流れる間、私の目から涙が零れ、心は神に向かって叫ぶのです。「どうして私の息子が? なぜ私たちの家族なのですか? なぜ私の親友には息子がいて、私にはいないのですか? どうして、なぜ?」 涙は流れ続けます。今日、教会は励ましではなく悲しみのためにあります。そうすることが許されるのであれば。

今日はとても悲しい気分です。教会はいつもは気分が落ち着くのですが、今日はひび割れた私たち家族と、空虚さと、心の痛みと、悲しみをまた思い出させるのです。

ミサが終わるとすぐに教会を出ました。息子と一緒に日曜の午後ゲームをして遊んでいた大学生の子たちには挨拶をしませんでした。私は知り合いとはあまり話しません。彼らは集まって遊びに行くのでしょう。そこに息子が加わることはありません。誘われないからではなく、息子は自分の過去を書き換えたのです。過去と現在と、自分が誰であったのかも。そうして息子は友だちを置いていったのです。

私は逃げました。「元気?」と聞かれたくなかったのです。心が悲しみで血を流し、他の人に私が感じていることを本当には理解してもらえない時、何と言えばいいのでしょう?

教会のコミュニティは私たち家族に対して愛情深く、一緒に悲しんでくれます。ですが、知っている人からの特別な悲しみというものがあるのです。同じ状況にない人たちの目に私たちの悲しみが映るのは、直視したくない鏡のようです。

他の人たちの目に悲しみが浮かぶと私は身震いします。私たちの家庭がカルトのようなトランスグループに子どもを奪われ、壊されたことを思い出すからです。また、私たちの壊された子どもが、傷ついた心を癒すため、システムに従って自分の体を破壊していることも、私たちの社会がそれを「破壊することで彼は自分を治すだろう」などと称揚していることも思い出します。

心が傷ついた人はどうするのか? 同じような理由で傷ついた他の人を見つけます。私は、子どもが自分の生まれつきの体を変えようとする悲しみを理解し、苦しむ他の親たちを見つけました。私から息子を奪った泥棒は、この人たちの子どもも奪ったのです。

この人たちの目に痛みが浮かんでも、私は身震いしません。なぜかこの人たちの目に浮かぶ痛みは私の痛みを癒してくれます。同じ重荷をその背に背負っているからでしょう。私たちは、家族から息子や娘を攫ったこのジェンダー戦争の負傷者です。私たちは共に嘆き、共に闘います。今日は泣いていても、明日には闘うのです。闘いもこの傷ついた心を回復させると気づいたからです。

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