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授業中のスマホ弄りへの対処法

 今学期から受け持つ事になった眼鏡工学科の授業なのだが、当校では通常、授業中のスマホ弄りは厳禁で生徒はスマホを以下のような壁掛けのホルダー(?)に置いておかなければならない。

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 なのだが私はスマホ容認派、というよりは積極的に使っちゃおうぜ派に属するので勿論こんなことろには置かせない。なにせ初めての授業で「お前らスマホ使うのに変なホルダーに入れてるんぢゃねーよ」と指導したほどである。というわけで少なくとも私のクラスではスマホは机の上に置いておき、逐次使用してよいルールになっているのだが、そうなると避けられないのが日本語学習とは関係のないスマホ弄り。自慢じゃないが私のクソみたいな授業よりスマホのゲームや友達とのlineの方が楽しいし為にもなる。だったらほっとけば良いのだが、わたしは一応講師で(どうもこの点に気が付いているのが私の学生を中心に少なすぎるので、あえて強調しました)目の前の学習者に日本語を習得してもらう義務があるのだ。こういう話になると決まって①スマホを弄って何が悪い※下記参照 ②スマホより楽しく為になる授業をすれば自ずと弄らなくなる。学生がスマホをするのはお前の授業がつまらないからだ と言う意見が出る。

そして今回の記事は①に対する反論として昨日書く予定だったものだが、何故か今に至ってしまった。しかし現代人は時間に縛られ過ぎなのではないだろうか。今晩が明晩になったところで、たった一文字しか違わないではないか。こんなの時差の範囲なのである。そして②についてだが、そんな理想論を掲げるだけで授業が楽しく上手に分かりやすくなるのなら、日本語教育の研究者も養成講座も資格もつまらない会議も、そして酔っぱらって家に帰っただけで不機嫌になるウチの彼女も要らないのである。嘗て一年390日以上は酒に飲まれていたアル中の私が今や月に2回ぐらいしか飲まないのである。どうして大目に見てくれないのだろうか。面と向かって言うのは怖いので、ここで吐き出させていただく。

 さて授業中のスマホ弄りを看過しない私がどのような対応をしているのか、実際に昨日の授業の様子を紹介させていただく前に申し上げておく。なんの参考にもなりません!ついつい昨日ツイートしちゃったので仕方なく書くだけです。なんも期待してはいけません。

 というわけで、どのような対応をするかだが、これをご覧の方の中には「そんなの弄ってる学生をリフトアップして脳天から床に叩き落とし、マウントポジションから顔面血だらけになるまで殴れば良いじゃん」と仰る識者もいらっしゃるだろうが、学生の自律を促すことを信条としている私としては、そのようなやり方に些か疑問を持っているのである。ではどのようにして学生の自律を促すか。昨日実際に行ったことを述べていきたい。

ケース① 学生Aの場合
学生Aとしているのは彼の個人情報を守る為ではなく、単に名前を知らないからだ。だって他学科のしかも二回目の授業なんだもん。それは良いとして…数種類のアクティビティを通して発音を練習し、スマホ入力の練習をしている中、先ほどからずっとゲームに夢中のA。そこに背後から近寄り

私:てめー授業中にHな画像見てるんじゃねーよ!
A:〈>?OP`?+E!" そんなの見てないって!


ほどなくして、またゲームに没頭する彼に

私:てめー今度はHな動画見てるんじゃねーよ!
A:だから見てないって!


するとB(男)とC(女)が

BC:先生、そいつ彼女が出来た時の為に研究してるんですよ。
A:だから見てないって!お前ら変なこと言うなよ!

 この一連の話し合いにより彼の自律が多少促されたはずだったが、また暫くしてゲームをしていたので、「てめーHなこと研究してるんじゃねーよ、このエロ博士!」と優しく諭した結果、彼のあだ名は博士になった。ついでに隣の席のDは助手と呼ぶ事にした。おかげで二人の名前を覚える必要がなくなった。

ケース② 学生Eの場合
くどいようだが、まだ名前を知らないので便宜上もへったくれもなく学生Eなのである。因みにEは博士と違い女性だ。彼女は一見すると熱心にline上で入力の練習をしているようだったが、打たれているのはどう見ても中国語だったので、やはり自律を促すべく対話を試みることにした。

私:てめーさっきから見てりゃ複数の男に「我愛你」って打ってるんじゃねーよ!
E:そんなの打ってないわよ!ちゃんと見なさいよ!

スマホを見せてくれたのは良いが、そこに平仮名は一文字もなかった。

 Eはそれだけに飽き足らず2コマ目(16ː00~)の際には堂々と何かを食べていた。もちろん授業中に何かを食べるのは厳禁なので「てめー食うならもう少しコソコソ食えよ!」と人としての在り方を説いたのだが、返って来た一言は「先生も食べる?」だった。何度も繰り返したいのだが私は講師である。もちろん毅然とした態度で断ったのだが、「私の好意が受け取れないの?」と返された。私は講師である前に一人の人間であり、人の好意を無下にするわけにもいかない。かのアントニオ猪木も様々な国を訪問した際、出されたものは例えどんなゲテモノ食でも口に運んだと言っていた。国際交流の第一歩は現地の人間に出されたものを食べることだ。それこそが礼儀なのである。私は礼を知る人間として、そして国際交流の担い手として彼女が差し出す得体のしれないゲテモノ食(袋には「カラムーチョ」と書いてあった)の中から一番大きいのを選び口へと運んだ。ちょうどお腹が空いていたので美味しかった。ありがとうございます。

 そんなこんなで二回目の授業は終了した。果たして自律が促されたかは分からない。なんか促されてない気がしてきた。最後に言っておきたいのは、「怒る」と「叱る」は違うし、ましてや「注意する」とも違う。そして「注意できない」と「注意しない」も違うのである。なんか良い事を言った風にして今回の駄文を終了にしたい。

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