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無理はしないでね、できるだけ

社畜精神は良くないものなのか。世の中の全員が社畜精神を持っていなくてもいいけれど、一定数、やればできるとかちょっと無茶をしてでも頑張ろうとかそういう気持ちがある人がいないとチームは回らないような気がする。気がするだけでみんなが自由にやれるのがいい気がするけれど、そんな恵まれたチームはどこに存在しているのか。存在していたら拝んでみたい。

役職を上げたいとかそういうことじゃなくて「160時間」自分に労働するべき時間が与えられるのであれば、その中で最大のパフォーマンス、会社に最大限の貢献をしたいと思う。でもみんながそうではないんだな。
「160時間」詰め込んで働いてもぬるぬると働いても給料は変わらないのなら、頑張らないのも正しい判断なのかもしれない。

わたしの160時間と他人の160時間は認識に差があるのだ。精神と時の部屋を一旦経由しているのだ。160時間の業務時間を与えられていたとしても、100時間の仕事量でキャパオーバー。これ以上仕事を振らないでくださいと言うのだ。周りの人たちもあの人はこれ以上仕事を振るとパニックになるから難しい仕事を振るのはやめておこうということになる。バリケードを何重にも貼りまくり、自分を守っている。
自分を守れるのは自分だけなのでダメにならないためのバリケードは絶対に必要。でも、その人が「私にはできません」と言った仕事はどこにいくの?多分きっと絶対、仕事に余裕があるわけではないけれど、頑張ればなんとかやれてしまう人のところにいく。

やる前からできない、無理だと断ることができるのは強いけれど、不平等だと思ってしまう。一旦引き受けてみて、それでも時間だとか難易度の問題で無理ならばできない原因を潰し込む。人員の配置を変えてみる。そういう仕事の振り方をしないといけないのではないかと思う。

「やります」「大丈夫です」そう言ってできなくて周りに迷惑をかけるようなことはしないから。できなさそうだったらちゃんと自分の中でセーブする。どうしても無理な時は無理だと伝えるから。

こんなことを言ったら今の時代パワハラまがいの発言で怒られてしまうんだろうか。仕事を断るのも仕事への不満を伝えるのも声が大きい人の方が有利なのに、こういう主張は声の大きさに関わらず否定をされてしまうのが悲しいな。
自分には周りの人の気持ちを無視して自分の不満を主張することは到底できそうにない。でも、そのくらい素直な気持ちを職場の人に伝えられることがほんの少しだけ、羨ましくもある。

微熱の暮らしにいつの間にか慣れたわたしは
「無茶はしてほしい、少しだけ」と言えない気持ちを込めて、今日も歌うのであった。

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