見出し画像

テコンドーを作った人達③ 南太熙(ナムテヒ)



 南太熙(ナムテヒ、남태희)はベトナムテコンドーの父と呼ばれ、韓国では崔泓熙と共同で「跆拳道」という武道の名前を作った人物とされています。ITFテコンドー・WTテコンドーを股に掛けてその名前を歴史に残した元老、ナムテヒの足跡を紹介したいと思います。

 1929年に植民地時代のソウルで生まれ、太平洋戦争後まもなくの1946年に空手道青濤館に入門。李元國館長の下で空手の修行を始めました。ナムテヒは瞬く間に実力を付けて指導員となりました。当時、彼が指導した門下生の中には後にアメリカテコンドーの父と呼ばれる李俊九(ジョン・リー)もいました。
 その後、朝鮮戦争では韓国陸軍第6師団第2連隊所属の軍人として参戦します。彼が特に武勲を挙げたのは1951年に発生した龍門山の戦い(韓国軍一個師団が米軍の援護を受けて中国共産党三個師団を撃退した戦闘)でした。この戦闘は、韓国軍第2連隊が全面防御態勢で中共軍の猛攻を3日間持ちこたえ、中共軍に連続的な打撃を加えることによって主抵抗線を後退させる決定的な役割を果たした戦いでした。
 この戦闘でナムは白兵戦において多大なる戦果を挙げています。チェホンヒ総裁に関する著書「キリングアート」の中で著者のアレックス・ギリ―は、ナムテヒに直接インタビューし、この戦いの内容を以下のように書いています。

「暗闇の中でナムは物音を聞き、誰かにぶつかると乱闘の中で相手の髪を掴もうとした。明かりがないので敵味方を区別する唯一の方法は掴む事だった。共産主義者は丸刈りで韓国軍人は少し長い髪をしていた。ナムは塹壕の中で短い髪を感じた。他の兵士の声が聞こえると、彼は連打を加えて走り去った。味方と敵が塹壕の中を入り混じる中で、ナムは出来る限り敵兵の頭を掴み、坊主頭を感じるや否や殴打した。銃剣も使えず、彼は一晩中素手で戦った。何も考えず、何も考えず、暗闇の中を躓き、跪いて、倒れても何度も立ち上がって戦い続けた。朝が来ると共産主義者は塹壕から撤退し今度は銃撃戦が始まった。そしてその夜は再び暗闇の塹壕で白兵戦。戦いは三日三晩続き、ナムは戦い続けた。戦闘が終わると31人の部下のほとんどが戦死し、彼は三日三晩なにも食べずに戦い続けていた為、疲れ果てて倒れてしまいました。その日、退却中にナムは前夜戦った場所を歩いていると、数多くの死体を見つけました。その中で銃弾やナイフなどの傷が無く顔や頭の骨が折れた死体が20体以上もある事に気付きました」

 陸軍大尉となったナムは「テコンドーの創始者」崔泓熙将軍に招かれ、彼の副官となりました。その後、崔泓熙将軍は1953年に韓国軍内部に吾道館(オドグァン)道場を創設、館長として自身が研究している唐手道(蒼軒流)を指導するようになると、ナムは共同創設者として吾道館の師範を務める事となります(道場名は論語の一節である「吾道一以貫之」に由来)。
 また、古巣の青濤館から有段者たちを吾道館の指導者としてリクルートし、警察や軍隊などを中心として吾道館の唐手道(タンスドー)を指導していきます。

 1954年、ナムは李承晩大統領の武道による軍事デモンストレーションに参加し、下段突きで13枚の屋根瓦を壊したことが記録されています。伝えられるところによると、この演武を見た李承晩は非常に感銘を受け、「すべての韓国軍人にこの武道の訓練を授けるように」と崔泓熙将軍に命じたと言われています。この時の軍事デモンストレーションがきっかけとなり、崔泓熙将軍は自身の空手道に民族武術としての名前「テコンドー」を与える事となります。(韓国側の主張では、ナムはチェホンヒとともにテコンドーの名称を制定した共同命名者とされています)。更に、テコンドーの名前に権威付けを行う為、大統領の李承晩に「跆拳道雩南」と書いた直筆を下賜されています。


 こうして、民族武術「テコンドー」が誕生するのですが、ナムは崔泓熙将軍の片腕としてテコンドーの国際的な普及に尽力していきます。1959年からベトナム、台湾、フィリピンにテコンドーの指導を開始します。

 1959 年 3 月、ナムは韓国初のテコンドー デモンストレーションチームのメンバーとして海外を周り、ベトナムと台湾で彼の武術をデモンストレーションしました。この頃、彼はアジア テコンドー連盟の会長に任命され、KTA の創設理事の 1 人でもありました。1962 年、ナムはベトナム軍のテコンドー主任教官に任命され、ベトナムにおけるテコンドーの父として知られるようになります。ナムは、蒼軒流のテコンドーにおいて、花郎型、忠武型、および 乙支型を創作しました。

 そして、1972年に崔泓熙将軍が韓国から亡命しカナダに移住すると、自身も韓国から亡命しアメリカに移住。以降はアメリカでテコンドーを広める役割を果たしました。2007年にはテコンドーの殿堂に殿堂入りしました。