2016年2月 日本縦断の旅(前編)
はじめに
大学生活の最後の春休みは、これまで訪れたことのない都道府県を制覇すべく計画を立てた。その中でも2月に行った全国縦断の旅では、18日間(2/5-2/22)をかけて移動し続ける過去最長の旅程となった。(2022年現在でも最長)
お金のない学生旅行なので、宿泊代を1泊3,000円以内に抑えて、食べ物もコンビニ飯が多かったのも今になってはいい思い出である。
前編では、京都にたどり着くまでをまとめる。
1日目 札幌
初日は、旅のスタート地点である札幌を目指すべくANA機で移動する。
羽田空港を14時に出発する便は、値段も安く時間のある学生旅行にはうってつけだ。
新千歳空港の広告は北海道新幹線開業を案内していた。
学生時代は必ず快速エアポートで札幌方面に出ていたが、今ではリムジンバスですすきの方面に出ることも多い。
初日は宿泊施設に併設されている食堂で唐揚げ定食を食べた。
おそらくメニュー名はザンギではなかったはずだ。
こちらはホテルではなくて、足を伸ばして眠れるネットカフェとカプセルホテルの中間のような施設だった。
2日目 旭川・札幌
朝は無料朝食バイキング。
カレーに焼きそばとはいかにも男子大学生らしいbrown is beautifulスタイルだ。
札幌市内は雪まつり期間中で、日中は観光客で賑わっているがまだ時間は7:30なので人影はまばらだ。通勤の人はそもそも地上に上がらないだろう。
旭山動物園
札幌駅からは、あらかじめ手配した長崎行きの乗車券ではなくて、旭山動物園きっぷを使用して少し寄り道することにした。
初めて訪れた旭川駅。
いまだにこの旭川が訪れたことのある最北端の地となっている(2022年2月現在)
バスに揺られて旭山動物園に到着した。
今気温を振り返ると、さほど低くないのに驚いた。
このくらいなら、十分楽しめる。
行動展示の先駆けとして知られる旭山動物園を象徴する空飛ぶペンギンは、今では多くの水族館で見ることができる。
日本一有名と言って過言ではないだろう旭山動物園は、これ以来訪れることができていない。一眼レフを携えて再訪を心に誓う。
旭川駅に着くとちょうどよく特急がきたので、売店で駅弁を購入して飛び乗った。
さっぽろ雪まつり
日本三大がっかり観光名所と言われる時計台。個人的には、はりまや橋と同列に扱うのは道民に失礼な気がしている(土佐人にはもっと無礼やけど)
雪像しかないと思っていたが、氷のアートもあった。
こうして振り返ると、その時代の流行り物を思い出すことができる雪像は良いものだ。2月の札幌は航空券やホテルも軒並み高騰していたのが今となっては過去のものになってしまった。ぜひ2023年は雪まつりが開催されることを願いたい。
札幌に来ておいて、サッポロビールのあるライオンで飲んでいるそんな大学生だった。もう少し地元らしいものを食べておけば良かった。
急行 はまなす
大通公園から札幌駅に移動して、映画を見た。NMBのドキュメンタリーだった。
飲み食いして時間を潰すにはお金がかかる。お金がかからずに時間を潰すには映画はちょうど良い。
映画を見を終えて札幌駅ホームにて見物。
前面にへばりつく雪がいかにも北海道らしい。
発車標にお目当ての列車が表示された。
22時発の急行はまなすである。
この列車は北海道新幹線の誕生と同時にその役目を終えるのである。
私としてはサンライズを除いて唯一の寝台列車の乗車である。
座席番号は1号車1列下段。
乗車日の前月の10時打ちに失敗し、ダメもとでもう一度挑戦してもらったら確保出来た寝台券だった。
明朝の6時すぎ急行はまなす号は青森駅に到着した。
3日目 青森〜仙台
青森駅は朝の6時半で、朝食を取れるお店は開いていなかった。
雪を掻き分けて八甲田丸までやってきた。
日本人なら皆歌うことのできる津軽海峡冬景色。
今回は上野発ではなくて札幌発の夜行列車だったが、青森駅は雪の中で、人の群れなど居ないものの海鳴りを聞いたのだった。
朝7時を迎えて、空が明るくなってきた。
気がついたら30分ほど極寒の中にいたようで、速やかに開店した青森駅構内のドトールコーヒーにて暖をとった。
リゾートしらかみ
この日はひたすら列車で移動する1日となる。
まずは、リゾートしらかみで5時間超の移動で秋田駅を目指す。
リゾートしらかみは青森ー秋田間を結ぶ観光列車で、運行本数が少ない五能線を乗り通すことのできる列車となっている。
千畳敷駅では、列車が長時間停車して駅の目の前にある千畳敷海岸を見学できる。
しかし、冬場はホーム上の氷柱が圧巻だ。
千畳敷海岸の辺りは車窓から絶景が広がる。
国道とも並走しており鯵ヶ沢から深浦の辺りは車でも楽しめる。
実際に2018年5月と2021年8月の旅で訪れている。
秋田新幹線
はまなす号での睡眠不足をあり、リゾートしらかみではいつからか熟睡しており目を覚ました時には五能線が終わり奥羽本線に入る頃だった。
秋田駅に到着してすぐに秋田新幹線に乗り換えた。
今では見慣れたE6系だが、秋田新幹線区間で見る姿はいつもに増してかっこいい。
在来線とは明確に異なる流線形のフォルムが素晴らしい。
この車中によく覚えている出来事がある。
盛岡駅の新幹線ホームへ合流するあたりに聞いていたのが、安住紳一郎の日曜天国の2011年3月13日放送分のPodcast「地震のとき、あなたは何をしていましたか?」だった。
現在でも、ラジオクラウドいうアプリから聞くことができる。
東日本大震災が起きてまもなく5年というタイミングで訪れていた私は、改めて自身の中で整理する意味合いも込めてこの放送を聞いたのだが、一人新幹線で涙していた。
今回の旅程の中でも新幹線での長距離移動は珍しい。
実は、仙台で飲み会があり、はまなすの乗車日との兼ね合いで新幹線ワープという運びになった。
都内で知り合った4人の飲み会だったが、そのうちの1人が仙台に住んでいることから、その彼を訪ねる目的で訪れたのだ。私を除く3人は、日中に松島や青葉城観光をしていたらしい。この日を境に人と会うことのない孤独な旅は始まっていった。
4日目 仙台〜山形
大学生も忙しいようで、昨日の4人とは仙台駅で朝食を食べて解散となった。
この日はきっぷルートから離れて寄り道。
仙台うみの杜水族館
仙石線の中野栄駅からやってきたのが仙台うみの杜水族館である。
2015年夏のオープンなので、訪れた当時は真新しい水族館だ。
八景島シーパラダイスを運営する横浜八景島が運営に携わっており、楽しみにしていた。
松島名物の牡蠣養殖の展示。地域性がある。
イルカショープールの裏手には広大な敷地が広がる。少し京都水族館に似ている。
裏手は東日本大震災の津波浸水域で更地が広がっていたが、現在は大型の商業施設が立ち並んでおり、仙台港エリアは賑わっている。
イルカ好きの私だが、中でも好きなのがイロワケイルカで、国内で見ることができるのは仙台とジュゴンで有名な鳥羽水族館だけだ。
初めて見たのはこの仙台だったので、水槽の前からなかなか動けなかった。
ちなみに、普段滅多に見られないので一番好きなイルカはカマイルカということにしている。
仙台駅に戻ってきて昼食は駅そばで済ませて、きっぷルートに復帰した。
山寺
仙台からは仙山線に乗車する。
発車標には難読漢字駅の一つだと思う愛子行が並ぶ。
この駅に行けば可愛い愛子ちゃんという女の子の銅像が立ってません。。
そんなに怪しい駅があったら困ります。え?
ということで怪しい駅ではなくてAYASHI駅でした。
閑さや岩にしみ入る蝉の声
この山寺・立石寺で松尾芭蕉が詠んだ句です。
この日は雪山となっており、長く続く階段は凍りつき、天然の滑り台のようでした。
途中激しく転倒しながらも集落を見晴らせる高台までやってきた。
重いリュックサックを背負い冬場に登るのは危険だ。
外国人観光客がいたものの、あまり多くの人は登っていなかったが、写真を撮ってもらった。
下山して、山寺駅近くの喫茶店で蕎麦団子を食べた。
(喫茶の時間帯だったので喫茶店と思い込んでいたが、焔蔵というお蕎麦屋さんだった)
自分でお団子に味付けをしながらのスタイルは楽しい。
山形駅に到着した。この日は、奥羽本線内の大幅遅延で、仙山線も羽前千歳駅での接続変更など大きな混乱をしていた。
この日は山形市内に宿泊したが、何を食べたのか記録がない。
おそらくコンビニで適当に済ましたのだろう。
5日目 山形〜大船
5日目は2月9日だった。当時の給料日が10日ということで、この日の朝はお札を持っておらず現金は1300円ほどだったと記憶している。
山形市内の記憶はほとんどなくて、その後も山形市は訪れていない。
東北地方によく旅行するわりには知らない土地だ。
米沢は山形県内でもよく聞く地名であるが、駅前は少し寂しい印象だ。
実際は駅から離れたところが市の中心部で、そちらには多くのお店がある。
米沢ー福島間は青春18きっぷユーザーには難関区間とされていて普通列車の運行が極端に少ないのだ。
今回の旅では乗車券を使用しているので、山形新幹線の自由席で福島を目指す。
米沢駅で非常に有名な駅弁が、牛肉どまん中だ。
牛肉どまん中は、百貨店催事の駅弁展や、東京駅の駅弁コーナーでもトップレベルの人気を誇る駅弁界のスターである。
今回は、迷いに迷って購入した。所持金は500円にも満たなくなった。
今振り返ると、この当時は現金の重要性が非常に高かった。
JR東日本管内であってもsuicaの利用店舗は限られていたし、キャッシュレス決済という言葉もまだなかったように思う。
そんな思いで購入した牛肉どまん中は、温かく出来立てのようで非常に美味しかった。
福島駅ではもう見ることのできないE3系のこまち色を撮影していた。
福島駅に着いてからは、ひたすら東北本線を南下していくだけだった。
途中、白河駅で下車して小峰城を見学した。
ちょうどこの時懐かしい友人から連絡があり嬉しかったのを思い出す。
ひたすら東北本線を南下して、東京駅までやってきた。
長旅をしていると、丸の内駅舎も感慨深いものだ。
この日の東海道線は大幅遅延でダイヤが混乱していた。
本来は横浜駅より自宅に帰ろうと思っていたのだが、運よく215系の湘南ライナーに乗車できたのでこの日は大船駅まで進むことにした。
この日が215系の初乗車だった。
6日目 大船〜岐阜
無事に給料日まで耐え凌ぎ、また新たな気持ちで旅を再開した。
この日は快晴で朝から東海道沿線から富士山が顔を出していた。
富士駅で途中下車して絶景ポイントを求めて歩いた。
三保松原
清水駅からバスでやってきたのは三保の松原だ。
三保の松原のある三保半島は砂嘴と呼ばれる地形で西側から流れ着いた砂が堆積して富士山に向かって迫り出すような地形となっている。
そのため、三保から見る富士山は、駿河湾の上から眺めているように錯覚するほど美しい。
別日に日本平から富士山を眺めた写真であるが、写真の右側から海に迫り出すような街並みが三保半島である。
三保の松原の先端には、東海大学の海洋科学博物館と自然史博物館が隣接している。まずは海洋科学博物館にやってきた。
駿河湾のお膝元ということもあり深海魚やサメの展示が多いが、水族館のように生きている魚も数多く展示されていた。
続いて、自然史博物館を訪れた。
こちらでは恐竜の化石などの展示があり、大型の骨格標本もある。
正直、こんなに充実している施設とは予想だにしていなかったので興味深く観察をしていたその時、ツーーと鼻血が出てきた。滴り落ちる量はこれまでに経験がなく、受付の方にティッシュをもらったり色々と手当てをしてもらった。
その節は大変お世話になりました。
三保での一件もあり、軽い貧血のような症状があったのでこの日は先を急ぐことにした。静岡駅で東海軒の鯛めしを買って新幹線に乗り込んだ。鼻につめたティッシュが恥ずかしいというのも一つの要因だ。
思いがけず三保に長いこといたので、お昼を食べ損ねていたので遅めの昼食となった。ちなみに東海軒のサンドウィッチも好き。
名古屋から東海道線に乗り換えて、本日は岐阜駅で一泊。
名鉄岐阜駅側がものすごく広くて驚いた。
岐阜駅栄えてない方から数分のホテルが、今回の最安値の宿泊施設だった。
1泊1800円という驚異的なホテルは2畳ほどの空間の部屋だった。全体的に清潔感があったのでとても快適に過ごすことができた。
名駅にて購入した千寿の天むすを頬張って就寝。
7日目 岐阜〜富山
飛騨高山
岐阜駅よりワイドビューひだに乗車して高山にやってきた。
外国人観光客にも人気の飛騨高山ということもあり、名古屋始発のひだは大混雑で岐阜からの空席は残り僅かだった。
お昼時となったが観光客でどのお店も混雑していた。
宮川伊吹というラーメン屋に入った。細麺のあっさり醤油ラーメンでまさに中華そばという具合で、大きく乗っているチャーシューは昔ながらの定食屋にある焼豚のような感じ。(2022年現在食べログの情報によると閉店の可能性有)
飛騨古川
この日は行程にゆとりがあったので、飛騨古川を散策してみることにした。
飛騨古川の街並みは、非常に良かった。
高山は多くの外国人も訪れていることから街全体が造られた観光地のような印象を正直受けたのだが、古川の昔からの街並みを維持しながらごちゃついていなくて好きだった。
カレーライスの看板と匂いにつられてやってきた。単純な大学生だ。
ワイドビューひだで終点富山を目指す。
一人がけのグリーン車が空いていたのでそこから車窓を眺める。
日本全国いろんな路線に乗ってきたが、高山本線の猪谷あたりの景色は最高だ。
北陸新幹線開通でリニューアルした富山駅は近未来的な印象をうける。
国鉄時代の車両が、最新のホームに入線したり、路面電車が駅を突っ切っていたり楽しい駅だ。
この日、明るい時間に富山に着いたのだが夜何を食べたのかは記録にない。
8日目 富山〜彦根
富山
朝から富山城址公園を散策する優雅な1日の始まりとなった。
富山市内は路面電車で観光しやすい。
最近ではすっかり有名な白えび亭にて豪勢な朝食を頂く。
自分でもびっくりしているが、まだ10時前から生ビールを飲んでいる。
現在の営業情報だと11時開店のようなので、残念ながら朝食ビールとはいかないようだ。
富山からJRで西に移動するには新幹線しか選択肢がない。
ひとまず北陸新幹線に乗車して、金沢から北陸本線で福井方面を目指す。
東尋坊・雄島
芦原温泉駅でバスに乗り換えてやってきたのは雄島である。
雄島は、芦原温泉方面からバスで向かうと、東尋坊の手前という位置関係である。
混雑する車内に嫌気がさし途中下車してみた。
東尋坊のような高台ではないが、同じ柱状節理が見られる島で、島内にも案内看板が多くあり観光しやすい島だった。
小さい島だが、地形が異なって海沿いまで見学でき、開放感もあるのでとてもおすすめの島である。
東尋坊にやってきた。
2時間サスペンスの定番の断崖は観光客が多くて、やはり自然を感じるのは先ほどの雄島が良いように思う。
東尋坊は、断崖を海上から見学できる遊覧船があるので、それに参加すると違う印象を受けるかもしれない。
東尋坊から福井駅までやってきた。
昼食は福井駅にあるおそばだうどんだ越前でいただく。
福井駅すぐにあるのでよく利用するのだが、美味しい。
福井駅からはいかにもJR西日本の列車で京都方面を目指す。
彦根駅で途中下車して、彦根城を見に行った。
ご丁寧にライトアップされているものの夜に城内には入れないようだった。
この日は、京都市内まで行きたかったのだが、宿の安さから南彦根のスーパーホテルに宿泊。宿の隣のセブンイレブンで関西限定メニューを買って少しでも観光気分を味わう。
9日目 南彦根〜京都
草津の駅には草津宿の碑がある。
東海道と中山道の合流地点であり、現代でも名神高速と新名神高速の分岐点である草津JCTがあり交通の要所である。
京阪 響けユーフォニアムラッピング列車
石山駅から、京阪石山坂本線で石山寺を目指す。
やってきた京阪電車は響けユーフォニアム仕様車だった。
石山寺
関東の人が石山寺を目指して旅行するという機会はないかもしれない。
しかし、京都市内からならば宇治観光をするくらい気軽に訪れて、楽しめるところだった。
京阪電車で浜大津の辺りまでやってきた。
京阪電車といえば、その名の通り京都ー大阪間を結ぶイメージが強いのだが、京都市地下鉄の東西線に乗り入れをしており、二条城や三条京阪から御陵駅を経由して浜大津駅までは一本だ。
京都
琵琶湖から京都市内へは京阪が便利なのだが、今回はJRの乗車券を利用しているので、京都駅からバスで市内を目指す。
2022年3月のダイヤ改正で姿を消す急行の100番台の系統は、主要観光地を結ぶ路線として大きな賑わいを見せていた。
昼食はサラメシでリヤカー販売の様子が放映されて気になっていた青おにぎりにやってきた。白川通から少し入ったところにあり、錦林車庫が最寄りバス停。
ランチ過ぎということで、常連さんと話しこむ店主に、大学生の観光客という少し居心地の悪い状況ではあったが、おそらく今同じ状況ならば、心穏やかだと思う。
この頃から、一人旅特有の淋しさが芽生えていた。
京都のお土産といえば八ッ橋だろう。
私は、卒業論文で八ッ橋販売店の調査を行ったので人より少し口うるさい。
八ッ橋発祥の店はどこかというのは簡単には出ないのだが、発祥の地は聖護院の近辺ということで良いだろう。
現在でも大通りから一本入った聖護院前の参道には、聖護院八ッ橋と本家西尾八ッ橋の本店が店を構えている。ちなみに、すぐ近くの大通り東山丸太町交差点(熊野神社前バス停)にも両社は店舗を構えている。ここは儲けの問題ではなく、意地の問題だ。
ちなみに生八ッ橋のことを「おたべ」と認識している人が多いのだが、「おたべ」は商品名であり絆創膏のことを「バンドエイト」や「カットバン」と呼ぶものと同じだ。
京都の市バスは中乗り前降りの均一運賃に統一されてきたのだが、特に混雑するバス停では、降車時は車外で運賃を精算する取り組みを実施している。
四条烏丸ー四条河原町間の変化スピードはとてつもなく速い。
訪れる度に路面店が入れ替わっている。
京都は学生時代最も通った場所である。
常宿は四条烏丸のファーストキャビンと決めていた。
そんなファーストキャビンから最も近い居酒屋であるニュー烏丸で打ち上げた。
安くて美味い大衆酒場で、学生やサラリーマンが多い。
京都という街は面白くて観光客が集まるエリアはとことん観光客だが、学生がとにかく多い街でラーメン屋や洋食屋、パン屋が多い街だ。
四条烏丸というエリアは、京都随一のオフィス街で、どちらかというと地元の人に向けたお店が多い。
そんな京都の話は別の機会でお送りするとして、全国縦断の旅は折り返し点を迎えたのだった。
後編へ続く
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