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お久しぶりです。

なんとなく今まで考えていたことを書いてみようと思います。

いつかの痛みは誰かの為

全ての事に意味があるとは言えないかもしれないけれど、でも、それを諦めてしまったら意味を持たせることができたものも意味のないものになってしまうような気がしています。

辛いときや苦しいときは何のためにあるのだろうか。

GReeeeNの花唄という曲の歌詞に

いつかの痛みは誰かの為 そう思えたら 何故か少し笑えた

という部分があって、なんかこういう考え方をしていたらなんでも意味を持たせることができるような気がしました。

良くも悪くも人は経験からしか語れません。

いつか自分と同じ理由で困っている人がいたときに助けてあげられるかどうかは、「経験しているか否か」になってくるのかなと思います。


意味を持たせるもの

この世でマイナスだと思われているもの。
例えば「悪」とか「死」とか。

そういったものはなぜあるのか。

きっと良いことを教えてくれるためにあると思う。

悪がなければ善もわからないし、死がなければ生きている歓びもわからない。

意味のあるものが意味を生む気がしていて、そんな事で世界は繋がっている気がします。

世界中が新型コロナウィルスによって今までのあたりまえの日常がなくなりました。
でもそのあたりまえの日常の有難みを教えてくれるために、神様が人類に与えた試練なのかもな、なんて思ったりもしてます。

とりあえず、また前を向いて歩いていこうと思います。

また書きます。

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