己の欲せざるところ

孔子の言う「己の欲せざるところ~」を再考してみた

「己の欲せざるところ、人に施すなかれ。」

とは、高校 1 年生か、あるいは、中学 3 年生の教科書に載っているかもしれない、『論語』の中のことば。

それを初めて知ったときの自分の状況は「学生」だったから、「己の欲せざるところ」とは、人に危害を加える系のことで、具体的には、

・悪口を言う
・仲間はずれにする
・誰もやりたがらない仕事を押しつける

なんかかな、と思いました。

そういうことは、自分がされたらイヤだから、人にはしないようにねってことで、「まあそうだよね、そりゃあそうだ」と。

実際には、『論語』のことばを国語の授業で聞いたところで、そうしたことが無くなるということにはならないけれど。


とかく、『論語』の中のことばで教科書に取り上げられるようなものは、道徳色の強いものが多くて、「耳に痛すぎる」。

『論語』全部を読むと、必ずしもそうじゃなくて、人間孔子さんやお弟子さんたちの生き様が見えてくる描写もあると思うんだけれど、それはそれとして。

耳に痛すぎて実感が無かった、

自分がされてイヤなことは、人にするな

ということば。

今、改めて考え直してみると、「己の欲せざるところ」というのが、中高生の時代に自分が考えたようなことだったら、一応、頭ではそれらが「己の欲せざるところ」だなっていうのは、わかってはいそう。

だから、わかっているのにやる、というのにはまた複雑な心理がありそう。

複雑な心理が絡む話となると、心理学者でもない私には語れないので、ここで話すのは、

人に強いていることがまさに
「己の欲せざるところ」なのに
その自覚が “全く無い”

というパターンを考えた、というか、に気がついたということです。


身近なところだと、今、私の職場では、

営業時間をさらに 2 時間延ばす

なんてことが、実際にそこで働く人を無視して検討されているらしく。

百歩譲って、もともと遅型生活になりがちな塾業界に 25 年もいて、家族の世話にも追われていない私は、それで出社時間も 2 時間遅くなるなら、別にいいかもしれないです。

だけど、普通に考えて、帰宅時間がさらに 2 時間も遅くなることを歓迎する人が世の中にどれだけいるんでしょう。

まさに、
営業時間がさらに 2 時間延びる=己の欲せざるところ
なんだけれど、それによって、帰宅時間が 2 時間遅くなるという

実際の影響を受けない人にとっては、
そのことが全く意識されない


んだな、ということ。

わかってて、無視している場合もあるだろうけれど、多くは、ほんとに気づいていないんだと思います。


まあ、私の場合は、50 を目前にして、また一人足からやり直しているような状態だから、「発案する人」の側になることはそうないだろうけど。

でも、もっと身近な親戚筋レベルのことでも、「反対側からの視点」が欠けていることによるトラブルってある、と思います。

相手の立場に立つ、と言うのは簡単だけど、ほんとに相手側の目線からもものごとを見ているか。

意識したところで、本当に相手の立場に立つことはムリだけれど、せめて

逆の立場だったらどうだろう

と考えてみる、その時間を持ちたいと思いました。

己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。
―― 己所不欲、勿施於人也。

≫ ≫ ≫ ≫ ≫ ≫ ≫ ≫ ≫ ≫ 『論語』第 8 巻・第 15・衛霊公篇 24 より


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【参考サイト】
● 武内義雄 訳註『論語』岩波書店, 1943年, 国立国会図書館ウェブサイト
 コマ番号 105