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仏領インドシナと戦前の日本人

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戦前の仏領インドシナ、ベトナムの独立を直接、間接に援助した日本人を纏めてます。
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#植民地主義

べト・ミンの実態を追う①😑『下剋上』

 先日の記事『ホー・チ・ミン氏とは、結局一体誰? 続・続編 ~べト・ミンを追え!😅の巻~…

何祐子
1か月前
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ベトナム留学生と静岡の医師浅羽左喜太郎(あさば さきたろう)先生

 ベトナム、或いはベトナム近代史を知る方は、この浅羽左喜太郎先生と『東遊(ドン・ズー)運…

何祐子
2か月前
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日本敗戦-『ベトナム現地に残った日本人残留兵たち』-様々な人間模様・おまけ

日本敗戦-『ベトナム現地に残った日本人残留兵たち』-様々な人間模様②  その①で、日本敗…

何祐子
8か月前
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日本敗戦-『ベトナム現地に残った日本人残留兵たち』-様々な人間模様②

 「日本敗戦-『ベトナム現地に残った日本人残留兵たち』-様々な人間模様①」からの続きです…

何祐子
8か月前
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日本敗戦-『ベトナム現地に残った日本人残留兵たち』-様々な人間模様①

 日本一般国民に、近くて遠い国・ベトナム…。😅   戦後は日本政府もベトナム政府も、何か…

何祐子
8か月前
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戦前の『非常時内閣平和外相』  廣田弘毅(ひろた ひろたか)氏

 昨年からここnoteで、明治末に日本へ亡命したベトナム王国(当時)のクオン・デ候やファン・…

何祐子
8か月前
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仏領インドシナにあった日本の旧高専校『南洋学院』のこと

 近年ベトナムに駐在、或いはビジネス関係の日本人の方でも、『南洋学院』を知る人は多分殆どいませんよね。。。  私が初めてベトナムに移り住んだ1990年代頃は、現地にまだ元大南(ダイ・ナム)公司の社員の方や、元日本軍で敗戦後日本へ帰らずベトナムに残留した強者の先輩方がご存命でした。。。😅ですので、私も外地校『南洋学院』の名は聞いていたものの、詳細は知りませんでした。幸い、『南洋学院』の第一期生、福島出身の亀山哲三氏がご著書『南洋学院』を遺して下さり、ここから詳細を知ることができ

仏領インドシナ連邦-ベトナム王国  フランス植民地支配解放闘争

 日本の大東亜戦争の頃、まだ王国だったベトナムは、仏領印度支那(インドシナ)、略して仏印…

何祐子
1年前
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仏領インドシナ連邦の基本情報

 浅学非才の平凡な主婦が、どういった縁か不思議な現象に促されて、本を翻訳出版したり、こう…

何祐子
1年前
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ベトナムの皇子クオン・デ候 家族写真の謎に迫る

 この写真なんですが、戦後の日本とベトナムで、『クオン・デ候の日本の家族写真』として出回…

何祐子
1年前
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ベトナム抗仏志士リーダー達のその後

 私が出版した翻訳本⇒「ベトナム英雄革命家 畿外候彊㭽 - クオン・デ候: 祖国解放に捧げ…

何祐子
1年前
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仏印”平和”進駐の『第2次近衛内閣』総理大臣・近衛文麿のこと その②

その① 仏印”平和”進駐の『第2次近衛内閣』総理大臣・近衛文麿のこと その① からの続き…

何祐子
1年前
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仏印”平和”進駐の『第2次近衛内閣』総理大臣・近衛文麿のこと その①

 『日本と仏印(仏領インドシナ)』の最も重要な出来事に1940年の『(北部)仏印平和進駐…

何祐子
1年前
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仏領インドシナ、ドンダン・ランソン進攻の中村兵団-第五師団のこと その①(再)

 私の『本の登場人物と時代背景に関する補足説明①~⑲』本の登場人物・時代背景に関する補足説明(1)|何祐子|note をお読みくださった方は、もう「ああ、第五師団ね!」と思い出して頂けると嬉しいのですが、もう一度おさらいしますと、第五師団とは、「1873年(明治6年)設置された広島鎮台を母体に1888年(明治22年)に編成された、1940年仏印進攻の主力部隊」でして、「日清戦争から続く中国での戦闘経験と戦歴を持つ(当時の)帝国陸軍の精鋭部隊」。要するに、広島県人部隊ですね。そ