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『いつかたこぶねになる日』小津夜景 著(素粒社)

『はじめに』から、ここ久しく読んでいなかった分野の本だった。新鮮な興味がわいた。ところどころに煌めく文言や表現があり、どんどん惹き付けられる。ただ見通しが甘かった。3ページの『はじめに』だけで気持ちよく寝付いた。難解という文ではないけれど、一言一句深く味わった。

『漢詩の手帖』とも表紙に小さく書いてある。古文よりも苦手だった漢文に繋がっていくのなら、最後まで読み終える自信がない。

次は目次。目次には31の題名。小エッセイなら、1つずつ読み進められるかもしれない。1番最初は『いつかたこぶねになる日』どこで区切るんだ?いつか  こぶね  に なる 日・・・『た』が余ってる。いつか  たこ  ぶね  に なる日・・・たこ ・ぶた  じゃない。たこにも、ぶたにも、なりたくはないなあと思いながら題名が分からないまま、読み始める。

タコはタコだった。そうかタコは非凡だったのか。内容の展開と読書範囲と、次々と出てくる博識ぶりに付いていけないのに、不思議な心地よさに8ページ最後まで行き着かずに寝入った。

これまでの私の読書のように、先を知りたくて結果として速読のように、、、ならない。そんな惜しいことはしない。

確かに、ぱたんと本を閉じる音をうつらうつら聞きながら寝入るのは気持ちいい。でも決して、安心安全な睡眠導入にしているという訳ではない。

アン・モロウ・リンドバーグも原采蘋も知らない。『海からの贈り物』も原采蘋の詩も知らない。ただ原采蘋の詩の下に付けられた漢詩を詩と比べながら読むことには抵抗はなかった。

この8ページを何日かかって読めるのか。何回途中でぱたりと本を置くのか。何度でも寝入りながらこの時間を私は楽しむ。こういうのをハマるというのだろうか。

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