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『いつかたこぶねになる日』を読んで ④⑤

四つ目『虹をたずねる舟(パント)』
文章は読みやすく漢字も少な目だのに、その感性が難しくその状況に付いていけない。『不条理』、『不死身の虹』とは?

まだ漢詩の方が軽い軽い、というのは
「軽軽」は「そっと」の意味だった。3回続けて遣われている。徐志摩の詩より

そっと僕は立ち去ろう
「軽い軽い的我走る了解」から平仮名除けて
軽軽的我走了

来たときのようにそっと
「正に如く我軽い軽い的来る」と打って
正如我軽軽的来

邪道だけれど面白い。
僕はそっと手を振って
我軽軽的招手(手を振るのは、手招きかあ)

さよならする 西の空の雲に
作別西天的雲彩
もうそろそろ詩から漢詩に変換できないかとやってみたけど無理だった、順番が。

違う違う、何やってる。試験じゃないんだからただ楽しめばいいんだよ。ふたたび、さよならケンブリッジという徐さんの詩を。声なき歌を。日本語の詩が、小津さんの詩が美しい。

⑤五つ目『翻訳とクラブアップル』
勝手に歩き出す私にナイスタイミングで小津夜景さんが道先を案内してくれたような『漢文の訓読』について、五つ目。 

『漢文訓読』があったせいで、日本人は中国語で音読もせず、日本語にも翻訳せず独特の距離感で漢文に親しんできた。目の前の漢字を並べ替えさえすれば、何となく、、、さっきの私のように。日本語としての意味が成り立っていなくても何故楽しめるのか。

堂々とした音楽的理由らしい。ふわっとした感覚でじゅうぶんな私は、立派な一般人だ。

ところで、李静照「詩碑  好事近」の英訳は『ハピネス・アプローチズ』。なんてお洒落なネーミング。小津さんは『幸福が近づく』と名付ける。李静照の詩は、声(ひびき)より香(におい)の作風らしい。

『かいどう』・・・バラ科リンゴ属  美しい花  赤い実が成る?カイドウザクラ?懐かしい、それなら知ってる。伯母が私の成人の記念にと植えてくれたあの花だ。サクラよりもっと濃いピンク、丸まった可愛らしい花びら、赤い実は日当たりが良くないせいか、実らなかったような気がする。母は多分覚えていないだろう。誰にも確かめられない私だけの記憶。そうか『赤毛のアン』にも出ていたんだ。中学生の頃の愛読書。こちらはしっかり記憶にない。

カイドウザクラの思い出。口をすぼめて喋る伯母。鈴を鳴らすような綺麗な声だった。

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