他人の気持ちわからなし

1人が楽すぎて他人とのコミュニケーションが単純にめんどいなと思っているクズの文章を書く練習

私は他人が苦手なので、可能な限り1人で過ごす。幸い、今の仕事に必要なコミュニケーションを取ることにはそこまでのストレスを感じないので、仕事自体は淡々とやっているが、たとえばお昼休みには、今でも緊張してしまう。

お昼休みは、部署内の女性社員何人かと休憩室で昼食を一緒に食べているが、当然黙って食べるわけにはいかない。それなりに『おしゃべりする』必要があり、これが私には結構大変だ。私が他人とのコミュニケーションが苦手な理由として、あえて挙げるなら「他人に興味がないこと」だと思う。いわゆるコミュ力が高い(と私が思っている)人が以前、「はじめて会った人ほど、その人ことを何も知らない。知ろうとするから話題に困らない」と語っていたのを聞いた時、眼から鱗だった。きっとそういう人は初めて会った人のことを知り、自分のことも知ってもらい、仲良くなろうとしているのだ。こう書くと当たり前っぽいが、私の場合は、「相手のことには興味がないし、自分のことを話す気もさらさらないが、この場を無難に乗り切りたい」ということしか考えていない。トークテーマに困って当然である。じゃあ他人と関わらずにむすっとしていればいいかというと、「社会人として必要最低限のコミュニケーション能力はある人」という体裁は取り繕いたいため、「嫌々他人と関わっている」ことを周囲に悟られない程度に、探り探りおしゃべりしている。言うまでもなくそんなに面白くない。では腹を括って他人に興味を持ち、心を開く努力をすればいい話だが、今のところその気はない。劇的に自分の価値観が変わらない限り、他人との接し方はこのままだろう。そもそも仕事先では当たり障りのない人間関係を築いている人が多いと思う。そういう意味で、私は学生時代より社会人になってからの方が気楽に過ごしている。

思えば小学生の時には人間関係をかなり淡白にとらえていた。友人同士のケンカには巻き込まれまいと思っていた一方、自分が誰かとケンカした記憶はない。意見の食い違いはあったろうが、言い争うのも面倒で妥協していたのだろう。さすがに鮮明に覚えていることは少ないが、小学生5年生くらいの頃、決定的に同級生の考えていることがわからない、と悟った瞬間に関わり合うのがこわくなり、心を閉じた時の感覚はよく覚えている。よくある話だが、当時友達として過ごしていた女子グループ内の友人AとBがケンカをしていて、それを知りつつ、私は、AともBとも変わらず遊んでいた。その時Aから、「なぜBと遊ぶのか」と怒られたのだ。私は意味がわからなかった。Aになんと答えたのかは覚えていないが、とにかくその時、同級生の中で一番仲良くしていると思っていた友達の価値観がまるでわからなかったことが、当時の私にはおそろしく、それ以来、放課後や休日に友達と会うことを避けた。ずる休みは親が許さなかったので学校には通ったが、精神的には引きこもっていた。

そんなことをいい年して引きずっているのかというと、引きずっているのである。とはいえ小学校時代の精神的引きこもり後も、100%他人との関わりを断っていたわけではなく、中学高校と自分にとって比較的居心地の良いコミュニティに属してはいたし、1人の時間が一番好きなのは間違いないが、誰かと過ごす時間を心の底から毛嫌いしているわけではない。誰かといるとストレスを感じることの方が多いので1人を選びがちだが、ストレスを感じずに誰かといられるのであれば、それは喜ばしいことだと思う。

書くことがなくなってきたので終わり。


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