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初めてのカトマンズ滞在記④市街地散歩(後編)

大混雑の夕方の市街地

散々歩き回ってホテルに着いたのは16時。旅行2日目にして、普段の生活と全く違う生活に、時間の感覚がマヒしてきている。まだ13時くらいの気分で荷物を置いて再び街へ出てダルバール広場へ向かった。

気分はお昼だが、時刻は夕方。ツアー代理店のKさんが、一番混むのは夕方だと言っていたが、その通り車も人も大混雑だった。特に、ダルバール広場は街の中心地。広場に近付くにつれて、人通りがどんどん増えていく。
混雑のピークはインドラチョークで迎えた。人が多すぎて、車が身動き取れずに立ち往生。車のほとんどはタクシーで、きっとダルバール広場にツーリストを運んでいるのだろう。クラクションがあちこちで鳴り響いていたが、この人の多さではどうしようもないだろうなと、タクシー運転手の度胸に感服した。

インドラチョークの寺院の窓辺から

衝撃のラッシー

インドラチョークには、事前に調べていたラッシーの店舗が2店舗あった。そのうちの1つ、Indrachowk Lassi Bhandarでラッシーをいただいた。お昼のダルバートで満腹だったため、今回はパスしようと思っていたが、前を通りかかったら小サイズがあったため、迷わず購入。これが大当たり!
濃厚だけど、くどくなくまろやかな味。ラッシーを越えたラッシーだった。日本の飲料だとレモン牛乳に近いような、ヨーグルトというよりは乳性飲料に近い味なので、酸味を求めている人には物足りないかもしれないが、私にとっては、とっても好みの味だった。
小サイズでなく、普通サイズを頼めば良かった。

ネパール飯で1,2を争う味だったインドラチョークラッシー

ダルバール広場

インドラチョークを抜けるといよいよダルバール広場に着いた。入場料を払って中に入ろうとすると、さっそくガイドを名乗る人につかまった。話を聞いていると、国で認定されたガイドとのこと。真偽のほどは定かではないが、雰囲気は悪い人ではなさそうだったので、一度くらいガイドをお願いしてもいいかとお願いすることにした。先に料金を言われるのかと思いきや、何も言われず案内がスタート。少し不安になったが、その日、クマリを見られる最後の回が数分後に始まるとのことで、いきなりクマリの館に向かって走ることに。ギリギリでクマリの館に滑り込み、クマリの顔を拝むことができて、とてもラッキーだった。
クマリの館でクマリを拝んだ後も、10カ所以上の建造物を案内してくれて、1つ1つとても丁寧に解説をしてくださった。英語の解説を、私は半分も理解できなかったが、とにかく神様がたくさんいることはよくわかった。また、カトマンズの名前の由来が、ダルバール広場にある木の家という意味のカスタマンダプ寺院であるということもわかった。

たくさんの寺院や宮殿が集まる元国王の居住地のダルバール広場
ダルバール広場の建物の一つタレジュ寺院

30分の予定だったが、蓋を開ければ1時間以上案内していただいた。1時間、英語が半分しか理解できなくても、非常に充実した時間だった。

ガイド料は2人でRs6000。もし内容がつまらなかったらいりませんと、強気の姿勢だったが、もちろん満額お支払いした。この文章を書きながら、時給6000円は結構いい値段なのではという気もしてきたが・・・。

ダルバール広場を見終わるころには、すっかり辺りも暗くなっていた。ガイドの方からは、急いでまっすぐホテルに帰るんだよ、というようなことを言われたが、明日からのナガルコットツアーの事前確認のため、ツアー代理店に立ち寄った。

ネパールのお酒

お店に立ち寄ると、明日のツアーの話もほどほどに、ネパールのお酒を飲みに行こうということになった。タクシーに乗ること、数十分、どこまで行くのかと思っていたら、住宅街のようなところでタクシーが止まった。一見どこにも飲食店らしき建物はなかったが、タクシーが止まった真ん前の住宅に入っていくので、どうやらそこがお店のようだった。

家族経営のお店なのか、私の1人暮らしの家のダイニングより狭いくらいのお店の中には、お店の人らしき大人1人と子供2人、そしてお客さんらしき人が2人いた。4人掛けの席にツアー代理店のKさんとPさん、Yちゃんと私で座る。KさんとPさんとお客さん2人は知り合いのようで、ネパール語で会話が始まった。

しばらくすると、大きな樽のようなジョッキのようなものが運ばれてきた。KさんとPさんが私たちに御馳走したかったお酒・トゥンバだった。

トゥンバ、ヒエのお酒

トゥンバはヒエを発酵させて作るお酒で、容器にはヒエが所狭しと入っており、そこにお湯を注いで飲む。味は日本酒の熱燗をマイルドにしたような味だった。3杯くらいまで、お湯を注いで楽しめる。それ以上は、だんだんと味が薄くなっていくが、酔いが回ってきたところでちょうど良い酔い覚ましになった。
トゥンバに続いて、ロキシーも登場。ロキシーは一つのグラスを、皆で回し飲み。沖縄のオトーリのようだなと思いながら、どんどん回ってくるため、どんどん飲む。
酒の肴には、トンガリコーンみたいな味のパリパリと煎り大豆、お肉をスパイスで炒めたものをいただいた。どれも美味しかったが、すっかりお酒でお腹いっぱいになってしまった。

酒の肴、パリパリポリポリとお肉

ママ

食べている間、KさんとPさんとお客さん2人はずっと楽しそうに話をしていた。お客さんのうち1人は、Kさん、Pさんから、" ママ "と呼ばれており、Kさんのお母さんの兄弟とのことだった。
Kさんのお母さんが亡くなってしまったときには、お母さんの兄弟姉妹がお世話をするという考え方があるということで、母方の兄弟姉妹(と、もしかしたらその子供も含むのかもしれない)のことを、" ママ "と呼ぶのだそう。話を聞きながら、とても素敵な文化だと思った。

ホテルまでの帰りは、ママのタクシーで送ってもらった。ママはもちろん、お酒は飲んでいない。酔いが回り、ますます陽気なKさんとPさんに対して、ママは落ち着いていて、どっしりとしたお父さんの雰囲気で、とても安心感があった。今夜も、ホテルに着く頃には、日付が変わろうとしており、またまたあっという間に眠りについた。

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