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「ICレコーダーは使わずに話をききました」──土田さんの発表

昭和の世田谷を写した8ミリフィルムの映像を手がかりに、“わたしたちの現在地” をさぐるロスジェネ世代の余暇活動「サンデー・インタビュアーズ」。月に1度オンラインで集い〈みる、はなす、きく〉の3ステップに取り組みます。ライターの橋本倫史さんによる記録です。

連載第15回(全17回)

極私的な記憶は、多くの場合、うしなわれてゆく。ただ、フィルムに記録されることで、時代を超えて引き継がれてゆくこともある。あるいは、誰かが撮影した映像が、別の誰かの記憶をよみがえらせることもある。

土田悠さんが深掘りするテーマに選んだ映像は、No.12の『経堂家族、雪景色、東京の町etc』と、No.84『ボロ市パレード』だ。

「私のパートナーは、世田谷区の上町出身なんですけど、『ボロ市パレード』の映像を私がパソコンで流していたところ、『あ、この人知ってる』とパートナーが言ったんですね」。中間報告会の発表で、土田さんはそう語り出す。「どうやら『ボロ市パレード』の映像に、知り合いが映っていたと。世田谷のボロ市はすごく近所でやっているもので、パレードにも小学校のときに参加したことがあるということで話が盛り上がったんです」

土田さんは「サンデー・インタビュアーズ」に初期から参加しており、『ボロ市パレード』の映像を見たのは2020年のことだった。知らない誰かが撮影したフィルムがきっかけに、会話が盛り上がった経験もあり、「これを家族の会話づくりに活用できないか?」と土田さんは考えて、パートナーの両親に映像を見せ、話をきくことを考えた。

パートナーが東京都世田谷区出身であるのに対し、土田さんの出身地は新潟県新潟市だ。せっかくなら自分の両親にも同じ映像を見てもらって、世田谷と新潟で反応に違いはあるのかを確かめてみることにしたのだという。

「今回、義理の両親の家に行って、『こういう昔の映像があるんですけど、なにか知っていることがあれば教えてもらえませんか?』という感じで、映像を見てもらったんです」と土田さん。「ワークショップで映像を見る場合と、家庭で見てもらう場合だと勝手が違うなと思って、インタビューというより、『こんな映像があるんですけど』という感じで見てもらいました。本当は義理の両親に一緒に見てもらいたかったんですが、義理のお父さんがうちのこどもと遊んでくれているあいだに、義理のお母さんに見てもらったんです。やっぱり近所ということで、映像を見始めてすぐ、いろんなことを話してくださいました」

それに比べると、新潟に暮らす母親に映像を見せても、ほとんど反応は得られなかったのだと土田さんは振り返る。

「新潟の母からすると、ちょっと、とっかかりがないんですよね。どうやって映像を見てもらうかと考えて、『昔の8ミリの映像をインターネットで見れるんだけど、そういう古い映像を見る勉強会に参加してて、ちょっと課題があるから一緒に映像を見てほしい』と伝えて見てもらったんですけど、映像を見てもらっても、母親からは『ふーん』という反応しかなかったんです。以前松本さんが、『最初のうちは沈黙が続いても、映像を見ているうちに言葉が出てくる』とおっしゃっていたので、しばらく黙って見てたんですけど、沈黙に耐えきれなくなって、『ここに映っているのは妻の知り合いで……』と、私が解説を加えてしまったんです。そうすると結局、『面白いことしてるね』と言われて、終わってしまったんです」

ここにはふたつのむずかしさがある。ひとつは、知らない誰かが撮影した映像を、どうすれば自分に引き寄せて見てもらうかということ。もうひとつは、身近な誰かに話をきくむずかしさだ。土田さんは、本当なら実家の父にも映像を見せて話をきいてみたかったそうだが、どうにも難しくてきけなかったのだと語っていた。その気持ちは、とてもよくわかる。こうしてドキュメントを書き綴っているぼくは、ライターとしていろんな方に話をきくことをなりわいにしているけれど、「自分の親にインタビューしろ」と言われたら戸惑ってしまう。

ところで、土田さんは話をきくにあたり、ICレコーダーを使ってインタビューするのではなく、その場でメモをとりながら話をきいたのだという。中間報告が終わると、八木寛之さんから「レコーダーを使わずに話をきかれたのは、なにか意図があったんですか?」と質問が飛んだ。

「自分の中では、ICレコーダーを置くのはハードルが高かったんです」と土田さん。「ICレコーダーを置くことで、『急にどうした?』って雰囲気になるのを恐れたのと、メモをとっておいて後で確認してもらおうと思っていたので、正確性という意味ではそれでも大丈夫かなということで、ICレコーダーは使わずに話をききました」

身近な関係性だからこそ、話をきくむずかしさがある。身近な相手であればあるほど、ICレコーダーを持ち出すと、どうしてもかしこまった雰囲気になってしまう。ハードルを最小限に留められるようにと、土田さんはICレコーダーを使わずに話をきいたのだろう。

八木さんからだけではなく、ひと足先に発表を終えた佐伯さんからも、質問が投げかけられた。

「お母様に映像を見てもらったとき、反応が今ひとつだったとおっしゃってましたけど、土田さんとして『こういう反応を期待していた』というイメージはあったんですか?」

「まず、自分のパートナーも参加したことがあるパレードだったから、興味を持ってくれるかなと思っていたんです」と土田さん。「そこから『ここはどういうところなの?』という話になったり、あるいは『新潟でもこういうパレードをやっていたことがある』という話になったりするかと思っていたんですが、まったくの沈黙というか、知らない親戚のビデオを見せられたときのような反応だったんです。今、佐伯さんの指摘を受けて考えたのは、たとえば『新潟でもこういうパレードってあった?』とか、そういう投げかけもできたかもしれないな、と。そうやって身近なことに惹きつけて母親に話を振ることもできたかもしれないんですけど、沈黙のプレッシャーが大きくて、冷や汗をかいたような感覚がありました」

誰かに話をきかせてらうとき、説明が不足したままだと、相手は何を語ればいいのかわからなくなってしまう。ただ、聞き手が過剰に説明してしまうと、ほとんど誘導尋問のような受け答えになってしまう。聞き手が過剰に質問を投げかけないからこそ、相手に考える余白が生まれ、言葉を引き出せる場合もある。あるいは、聞き手がやりとりをコントロールし過ぎないことで、思いがけない話がきけることもある。

中間報告を終えたあと、お正月を迎えたタイミングで、土田さんはパートナーの実家を訪ねた。そこで10月にきかせてもらった話を書き起こした文章を義理の父に見せたところ、義父の話は『世田谷クロニクル1936-83』から逸れてゆき、少年時代の記憶を語って聞かせてくれたのだという。

「義理の父の実家は、中野区の野方というところにあったそうなんです。環七が通る前は畑ばっかりだったそうで、大麦を育てていたそうです。夏は練馬大根の産地で、冬に麦を育てる。秋にはお百姓さんが大根で糠漬けを作っていたんだという話をきかせてくれました。あと、10月に『経堂家族、雪景色、東京の町etc』の映像を見てもらったときに、11:49のあたりで都電が映っていたところから、『野方から都電で月島に行って、ハゼ釣りをしていたんだ』という話にもなっていたんです。今回はそのハゼ釣りについても話をきいてみたら、『ハゼ釣りの餌はイソメだ』と、『上げ潮のときにハゼは釣れるんだよ』と教えてくれました。どれぐらい釣れたんですかってきくと、1日に200から300は釣れていたそうなんですね。200から300ってすごい数だなと思うんですけど、それは唐揚げにして食べていたそうです」

義理のお父さんは70代。ということは、おそらく昭和20年代のお生まれなのだろう。その頃の月島にはまだ高層マンションは建っていなかっただろうし、東京湾の風景も今とは違っていただろう。都電が張り巡らされていた時代には、今とは地理感覚も違っていたはずだ。

現在の感覚からすると、野方から月島というのはかなり離れているように感じられる。もちろん土田さんの義理のお父さんの少年時代も遠かったことには変わりはないと思うけれど、西武新宿線あるいは国鉄中央線で新宿まで出てしまえば、11系統の都電が新宿と月島通八丁目間を結んでいる。ちいさな少年たちが、釣竿と一緒にバケツに山盛りのハゼを抱えて都電に乗車する姿を想像する。自分で釣ったハゼの唐揚げは、どんな味として記憶に残っているのだろう。

文=橋本倫史(はしもと・ともふみ)
1982年広島県生まれ。2007年『en-taxi』(扶桑社)に寄稿し、ライターとして活動をはじめる。同年にリトルマガジン『HB』を創刊。以降『hb paper』『SKETCHBOOK』『月刊ドライブイン』『不忍界隈』などいくつものリトルプレスを手がける。近著に『月刊ドライブイン』(筑摩書房、2019)『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』(本の雑誌社、2019)、『東京の古本屋』(本の雑誌社、2021)、『水納島再訪』(講談社、2022)。

サンデー・インタビュアーズ
昭和の世田谷を写した8ミリフィルムを手がかりに、“わたしたちの現在地” を探求するロスト・ジェネレーション世代による余暇活動。地域映像アーカイブ『世田谷クロニクル1936-83』上に公開されている84の映像を毎月ひとつずつ選んで、公募メンバー自身がメディア(媒介)となって、オンラインとオフラインをゆるやかにつなげていく3つのステップ《みる、はなす、きく》に取り組んでいます。本テキストは、オンライン上で行うワークショップ《STEP-2 みんなで“はなす”》部分で交わされた語りの記録です。サンデーインタビュアーズは「GAYA|移動する中心」*の一環として実施しています。
https://aha.ne.jp/si/

*「GAYA|移動する中心」は、昭和の世田谷をうつした8ミリフィルムのデジタルデータを活用し、映像を介した語りの場を創出するコミュニティ・アーカイブプロジェクト。映像の再生をきっかけに紡がれた個々の語りを拾い上げ、プロジェクトを共に動かす担い手づくりを目指し、東京アートポイント計画の一環として実施しています。

主催:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、公益財団法人せたがや文化財団 生活工房、特定非営利活動法人記録と表現とメディアのための組織[remo]