ファインマンも、共感覚者?

ファインマンも共感覚者?

この文章を読んで、ノーベル物理学者のファインマンも、共感覚者に違いないと思いました。
「人は何か一つの観念を説明しようというとき、すでに自分の頭の中にある考えに基づいて説明するのがふつうだ。この概念はあの考えをもとに教えられ、その「あの考え」はまたほかの概念に基づき、そのほかの概念とは例の数を勘定することから来ている……というふうに概念というものはレンガの壁のように積み重なっているものだ。そしてその数の数え方というのは人によって千差万別なのだ!
僕は今でもよくこのことを考えてみずにはいられない。たとえばベッセル関数の積分などというような、およそ奇っ怪な方法を教えようとしているときなど、ことにそうである。その方程式を見ていると、どういうわけか僕には、一つ一つの字に色がついて見えてくる。式を説明している僕の頭の中には、ヤーンケとエムデの教科書の中のその関数がぼんやり浮かんでいてJは薄いベージュ色、nはやや紫がかっており、濃紺色のxが飛び回っているのが見えるのだ。だが話を聞いている学生たちの眼にはいったいどんなものが浮かんでいるだろうか?
「ワン・ツー・スリー、ワン・ツー・スリー」の末尾。
「困ります、ファインマンさん」より。
R.P.ファインマン
大貫昌子 訳」
岩波現代文庫」
ファインマンには比べれんけど。

https://ameblo.jp/donkujira/entry-12400508154.html

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