呪い代行なるものが存在していますが、まず呪いが効くという事は無い。他人の不幸を願ってもその相手が不幸になる事はありません。依頼者と実行者についてはその後どうなってしまうかは目に見えています。この意味がわかるのであれば「代償があるのは覚悟の上」とは両者共に言えなくなるでしょう。
心霊スポットと呼ばれている場所には落書きされている事が多いものです。しかしどんな理由からでもそこに書いたり描いたり彫ったり刻んだりしてはいけない。ただ自分(達)の存在証明をしただけのつもりが、後にそれは取り返しがつかない事となる。何が起こるかは本人のみぞ知る所。
自分にとっての普通が広い世の中においては普通ではないという事もある。何を見聞きしてどう感じるかは人それぞれ。気に入らない気に食わないと思うならスルーすればいい。しかしそこに自ら飛び込み、突っかかりに行き、火種を撒き散らす事をする人間は多い。だがそれは何の意味も持たない。
自分の中のものさしだけで相手を見れば批判や差別の的にしてしまいやすくなる。「自分とは違う。自分達とは違う。自分の周囲にはそんな人間はいない」ただこれだけの事で、見ず知らずで通りすがりの相手に対してでも『あの人は普通じゃないな』という認定が自分の中で下される事となる。
九神七鑑定では霊臭を嗅ぎ分ける為に嗅覚を使用します。しかし、鼻が利き過ぎる故、日常生活においては少々厄介。他の人には無臭でも私にとっては強い刺激臭として脳天にまで突き刺さり酷い痛みを覚えます。今後はさらに自らを整え強化して備えなくては、と思っております。
見たくないものは見なくていい 言いたくない事は言わなくていい 聞きたくない事は聞かなくていい 知りたくない事は知らなくていい どんなときでも自分の心に従うこと。 他人に従えば何もかもが不自由になる。
神秘的な朝を迎えました。太陽の光とはやはり浄化力も強く。この太陽の光を目にしたあなたもまた、素晴らしい一日となることでしょう。
今日は久方振りにとある神社へ。空気はヒンヤリとしていて清々しく、自然の中に身を置くと心が洗われるようです。神社は願い事をする場ではありませんから、お賽銭だけさせていただきました。このようにゆったりとした時間を持つことは大切です。心にも余裕が生まれます。
最近よくある心霊のタイトルで、『お祓いはしていないので見る際は自己責任』というものがありますがこれはただ観ているだけの方(視聴者)には何も影響はありません。その動画(または写真)を観たからと言って何かが起こる…という事もありませんのでその点はお気になさらずに。
丑三つ刻に限らず本当にそこに霊が居るのであれば日中でも姿は視える。そしていつカメラを向けたとしてもそれは写り込む。話は変わり、例えば直視が出来ないほどの形相のモノが写ってしまったとしても、それが悪霊や怨霊と言う事もありません。そもそもそのような霊はいないのです。
本日、GAUのお店『yamori(ヤモリ)』がオープンしました。今後はメール鑑定のご依頼などはこちらのお店からお申し込みくださいませ。
多くの人が天然石を気軽に身に着けるようになりましたが、雑に扱うような方もいます。しかしどのような石にも命があります。あなたと同様に呼吸をして毎日あなたに語りかけてくれています。ただの石だと思わず一つの生命として、どうぞ大切になさって下さい。
恐ろしさを語るのであれば『人の念』が何よりも怖い。念は生霊化しやすい上に非常に厄介。霊障で悩まれる方の大半は人間関係でトラブルを抱えています。しかしそのトラブルがきちんと整理された途端に霊障等は全く起こらなくなる。要は関わる人間を間違えれば『そうなってしまう』という事。
約1年半ぶりとなる出張鑑定が先ほど無事に終了。今回はメール鑑定だけでは終わらず、直接ご依頼者様の元へと出向いてご自宅を視させていただきました。なにはともあれ霊障はピタリとおさまりご依頼者様は安堵の表情。今回もまた九神七の力でお役に立つ事が出来ました。
今年は霊障や事故物件についてのご相談がとにかく多い。事故物件などでは、その場所で亡くなられた方の念が残っていたり負のエネルギーが渦巻いている、よくない影響を及ぼしている…などと言われますがそれは大きな間違いです。
ココナラのメール鑑定を終了いたしました。