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自己流解釈から生まれた新たな霊性の道

今朝、書いた記事「世界という夢から目覚める前に必要な目覚め」に、
ふうさんから以下のコメントをいただきました。

博士の解説は、それ自体で首尾一貫した思考体系になっています。
そして、首尾一貫した思考体系は、しっかり身に着けて実践すれば、必ず、それに応じた結果が出ます。

これはまさに、ふうさんのおっしゃる通りだと思いました。

わたしも過去に、ワプニック博士の解説は100%正しいという観点から、以下の記事を書いたことがありました。

以下のふうさんのコメントも、多くの人が同じような思いを抱いたことがあるのではないでしょうか。

フォーカスすべきところは、あくまでも、奇跡講座を素直に読むと、必ずしも、ワプニック博士の解説と同じことを言っているとは思えず、しばしば、全く異なったことを言っているようにも感じる、というところなのでしょう。

ワプニック解説は、それ単体で考えると、
たしかに、首尾一貫しており、シンプルに思えるのですが、
でも、ワプニック解説を通して、コース(奇跡のコース/奇跡講座)本体を読もうとすると、
素直に文字通りには読めなくなり、混乱するという経験は、
多くの方がされてきたのではないでしょうか。

このことを改めて考えてみたのですが、
やはり、博士は、コースを自己流に解釈することによって、
イエスの意図とは違う新たな霊性の道を、そうとは知らずに作り上げてしまったのではないかということです。

そして、自分の作り上げた霊性の道の正統性を主張するために、
テキスト、ワークブック、マニュアルにある全ての文章を再解釈する必要性が生じ、
そのために、膨大な量となる解説書を書くことになってしまったように思います。

博士いわく、コースとキリスト教は、まったく違う霊性の道ということですが、
博士が自己流解釈によって作り上げたコースとキリスト教はまったく違う霊性の道といったほうが正しいのではないかと思いました。

このように考えると、

「コースとキリスト教はまったくの別物である(ゆえにキリスト教を学ぶ必要はない)」
「聖霊はこの世界ではなにもしない」
「コースは暗喩で書かれている」

と博士が主張する理由も、とてもよく分かるような気がします。

博士のコースとイエスのコースは別の霊性の道であると考えると、
すごくすっきりするものを感じます。

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