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路頭に迷う学習者

なんだかワプニック博士に対する文句ばかりになってしまっていますが、
でも、ワプニック解説なしにコースを理解することは不可能ではないかとわたしは思っております。

とはいえ、ワプニック解説のすべてが正しいかどうかということに関しては、考えていくべき問題ではないかと感じています。

でも、考えていくにしても、
日本には資料が少なすぎるように思います。

本気でこの問題を考えようとすれば、
英語を勉強する必要もでてくるでしょうし、
そうなると、
わたしは、本来の目的である目覚めどころではなくなってしまいます(笑)。

わたしがいま知りたいと思っているのは、
ワプニック博士の思想、考えに変遷はなかったのだろうかということです。

コースに限らず、どの霊性の道の、どんな指導者であっても、
学びのプロセスにおいて、その思想や考えに変化が生じるのが普通だと思います。

なので、ワプニック博士においても、
それは当然起こったはずだと思っているのですが、
そのことについて言及している人は、
わたしの知る限り、誰もいません。

日本にコースがもたらされてから、
まだ10年そこそこだと思いますので、
これは致し方ないことだと思っておりますが、
このことは、コース学習者にとって非常に重要なことではないかと思っております。

なぜなら、もしかしたら、
わたしたち日本のコース学習者は、
本来、学びのプロセスの上の段階で学ぶべきものを、
まだ準備もできていない初期段階で、
知らず知らず、学ぶことになっており、
そのために、学習が苦しくなっているということも十分考えられるように思うからです。

とくに、わたしたち日本のコース学習者の多くは、
学びの初期段階において、「原因についてのコース」と「思考の逆転」を学びます。

でもこれは、
加藤さんが何十年もの間、懸命に学び続けたことでようやく得ることができた産物なんですよね。

「原因についてのコース」には、
「イエス(聖霊)に具体的な導きを求めている限り、
コースを学んでいることにはならない」といった記述があります。

これは学びの上の段階においては真実なのかもしれませんが、
ただ、初心者学習者に対して、このようなことを言うことが適切なのかどうかは、考えてみるべき問題ではないかと思うのであります。

それに、コースの学びはプロセスであると言われているのに、
わたしたちは、
加藤さんがどのような学びのプロセスを辿ってきたのか、
加藤さんが自分について語らない以上、それを知る由はまったくありません。

そのために、
日本のコース学習者の中には、
路頭に迷い、混乱している方もいるのではないかと思うのであります。
(わたしのことです)

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