ジョージ・オーウェル(川端康雄訳)『動物農場』(岩波文庫)

巧みな小説であった。

たしかに、本作の描き出すディストピアの風景というのは、ある程度の普遍性を持つし、それこそが、今日において『動物農場』が古典とされる所以でもある。しかし、それにあまりに縛られると、とりどりの動物たちの滑稽な言動一つ一つを味わうことができなくなるきらいがある。もっとも感心させられるのは、スターリン体制の告発という政治的社会的な命題の提出という課題を果たす一方で、動物たちのそれぞれの身体的特徴という制約があるにもかかわらず、却ってその特徴をを生かして、巧みな筋運びによって、小説自体として、話を見事に完結させている点にある。小説を読むという点からいえば、やはり、話の具体的な展開のあり方に注意を向けるべきである。

物語のハイライトは、これまで、支配の度合いを強めつつも、四本足を保っていたボアー種の豚のナポレオンが二本足で歩行するようになる場面である。この解釈については、本書の解説でもページが割かれているところである。解説者が言うように、「オーウェルがあばきだそうとしたものの暴虐さ、非道さを読み手にはっきりと知らせるのに大きな働きをおよぼしている」ということもできようし、また、動物農場の憲法の適用が、四本足の動物に対してなされていたことを考えると、二本足になるということは、その憲法の適用の外に脱出するという点で、ジョルジョ・アガンベン『ホモ・サケル』が言うところの主権を終局的に獲得したということができよう(実はよく意味が分かっていないが、ただ、本のタイトルを知っていることをひけらかしたかっただけ。)。個人的には、これまで、人間のように行動する豚を書いていると思っていた読み手に対して、本当に描きたかったのは、豚のような人間であるという種明かしを、ここに至ってしているように思え、大変諧謔的な効果を生みだしていると思われる。

補遺
寓話と普遍性との相性の良さについては、開高健が、さる書籍に「私の民話論」という題で文章を寄せている。興味のある方は探されてもいいかもしれない。意外とすぐ見つかる気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?