敗戦時人事の本質はやはり「まだまだやろうと思えば戦えた!」の可能性の破棄、と考えるならば、問題は少子化?
敗戦時人事がなされた事を重く受け止めるミスター五十嵐です!
仮に、別に日本が戦争に巻き込まれている訳ではない。
が、仮に最悪の状況を想定し
人口が戦乱、円暴落、飢餓により、1/3になったと仮定する!
つまり、税収が1/3になるよりは!
まだまだ十分余力はある事を意味している。
更に自衛隊は、紛争は生産性は0で、外貨獲得に貢献していない。
つまり、外貨獲得の努力をしているのは、大企業だ。
つまり、敗戦時人事とは「敗戦時にはやはり大企業は儲かる!」
と言える。
「逆に、国のプロジェクト→企業のプロジェクト→農家や漁師」
と言え、結構戦争に巻き込まれている状況で困る人は、あまりいない!
とも言える。
敢えて言えば、「生活保護等の受給者は」
人が少なくなったから、働いてくれ!
という訳で、働かなくてはならない!
こう考えると、引きこもり問題も
まだまだ緊急時ではなく、まだまだ人口が多かった!
と言える。
やはり敗戦時人事は、むしろエリート人事の一環で
むしろ敗戦時人事により国は良い方向に向かって行く!
が正しい。
つまり、敗戦時人事とは「いかに情報を解釈するか?」
に紐付け可能だ。
引きこもり問題は、敗戦時人事迄の犠牲者だ!
つまり、何かと戦っていたから、過剰に能力や仕事能力を求められていた!
と、言えそうだ。
つまり、将来的に「人手不足なのに、人手不足を隠して、国家運営される!」
可能性が高い。
つまり、「人口減とは隠さないといけない情報だった!」
「仕事が出来る人しか生きていけない!状況は建前だった!」可能性すらあるのだ!
※まだ、実際に混乱もしてないし、人口もかなり減ったとは言えまだまだ。
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