「源氏物語」の洗脳要素は「藤原道長が権力者となった!」事実と「もしまひろ(下級貴族)と駆け落ちしていたら!」というif要素がない交ぜになって下剋上と言う恐怖感を後世の貴族に与えたお話と法学部が何故スゴいのか?
つまりは、普遍性を持つ物語の力、和歌の力、短歌の力に!
一部妄想要素が発生します!
それが「藤原道長が権力者にならなかったら?」
と言うif要素だ。
結論から言えば、別の藤原氏が違った形で権力者になった!
これは間違いではありません!
しかし、我々が、後世の貴族が
なんかジャイアンみたいな奴だな!
なんか財務省みたいな奴だな!
と誤解をあたえているのは間違いありません。
一方で、和歌や短歌に微妙な権力闘争の匂いが
複雑な色気を我々に与えます!
一方で!
共産革命や!
社会主義運動や!
なんらかの権力闘争が!
逆にエロを連想させてしまうのだ!
一方で、何故法学部がスゴいのか?
実は権力闘争すら、厳密に事実と事実を徹底的に検証すれば!
洗脳要素は限りなくゼロになるのだ!
かり仮に陰謀論が陰謀であり国と国の権力バトルだったとしても!
100年後には法律的には洗脳要素は限りなくゼロなのだ!
まとめ
賢者は歴史に学ぶ、ではなく
賢者は歴史の事実の積み重ね(法学的手法)の客体から、歴史を学ぶ
つまりは、歴史の洗脳要素を排除するのだ!
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