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平面世界のアフリカ 痕跡

イタリア人、ウルバーノ・モンテが作製した世界平面地図。
北極投影法が用いられたこの地図の特徴は、我々の住む世界を球体ではなく平面として描いていることだ。

最初に、これらの地図は正確に世界を描き上げたものである、ということではない、ということを言っておきたい。
あくまでも当時の地図製作者たちが認識していたことだった、と。
また、地図製作時の習わし、宗教等も大きくかかわっていた。


通説では、アフリカの砂漠化は今から5000年ほど前から進行しているのだという。
その進行速度が如何ほどなのかはわからない。
しかしウルバーノ・モンテの地図は430年ほど前に描かれたもの。
現サハラ砂漠は、この当時、緑と水に覆われ、多くの人が生活する場所であった。
とはいえ、各所に小さな砂漠を点在させているので、完全に緑化した状態ではなかったようだ。

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モンテの時代、16世紀後半、欧州の人々は当然アフリカとも交易していたはずである。
人々からもたらされた情報は地図を作製するにあたり、極めて重要なはずだった。
そうした情報をもとに作られた地図は正確でなければならない。
お遊びで作られたならこれほどの手間暇をかけて作らなくてもよいはずだ。
無数の街や湖にすら個別の名称が記されている。
もしこの時砂漠化した状態であったにもかかわらず、これほど詳細に描けるのだとしたら、そこにはこういった街や湖、河川があって、豊かな大地だったらどんなに素晴らしいことか、といった妄想や願望が入り込んでいるということだ。
あくまでも個人的な意見だが(この景観が正しいとして)アフリカの大規模な砂漠化はある日を境に劇的な速さで訪れたものだと考えている。
数百年をかけて「ゆっくりと」ではなく「なすすべもない」速さで。
それが自然的なものか人為的なものかはわからない。

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上はアレクサンドリア周辺のものである。
現在も存在している都市だが、描き方からすると当時も相当な規模を誇る都市だったに違いない。
そしてすぐに目が行くのが灯台の存在である。
アレクサンドリアの大灯台といえば世界七不思議ともされる灯台である。
通説によると、この大灯台は14世紀には完全に瓦解しているという。
だとすると、この灯台は全く別のもののはずだ。
もっとも、この近海は危険な水域であったために、大灯台が瓦解した後に建造されたのだろう。
しかしこの描き方、余りにも巨大ではないだろうか。
この場所がファロスであったかは不明だが、わざわざ独立した描き方からすると、相当に大きな灯台が再建されたのではないだろうか。
そしてこの灯台の頂からは巨大な火柱が立ち昇っている。
そもそもレンズというものを使用していないような描写だ。
実際のところはどうだったのだろう。
灯台の光の燃料は重油とパピルスだとされているようだが、これほどの炎をつくれるものだろうか。
もしかしたら現在とは違う極めて強い光を放つような燃料があったのかもしれない。

そしてそのすぐ下にもうひとつ施設があったようだ。
アレクサンドリアの灯台よりも大きく描かれている塔。
この説明には「アラブ人の塔」とある。
アラブ人の塔とはなんだろうか。
なにしろ灯台よりも大きく描かれているのだ。
どういった用途なのかもわからないが、内陸部に灯台よりも大きく、イタリア人のモンテにもその威容が届くような、圧倒的な知名度を誇る塔があったようだ。
確かめたわけではないが、おそらくもうこの塔は崩壊して跡形もないのだろう。
どういうわけかこの手の巨大な建造物は現代まで残されることなく、ほとんどが破壊される運命にある。
今残っている巨大建造物も「修繕」なのか「再建」なのかわからないほどに昔とは違う形をしているようだ。

そしてこの地図を見ていると、どうしても無視できない描写がある。

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4枚の切り抜きを挙げてみたが、これらは恐らく巨大樹の描写である。

ここ数年、話題にのぼっている、かつて存在していたとされる巨大樹。
1枚目の切り抜きには「クアトロパルム」とわざわざ説明が記されてある。
4本のヤシ、とでも翻訳すればよいのだろうか。
実際、これがヤシの木だったのかは不明である。
現生人類が未だ見たことのない樹木だった可能性もある。
他の木々と明らかに違う形状で描写されていることもわかる。
この「4本のヤシ」は海岸沿いに並び、周辺の木々とは明らかに違う大きさで、海上をゆく船乗りたちの目印にもなっていたのではないだろうか。
故に有名となり、ウルバーノ・モンテのもとにも情報が届いていたのではなかろうか。
描き分けされる、ということは、つまり巨大な木はその辺に生えているものとは、まったく違う種であった可能性すらある。

内陸部にも巨大樹と思われる木々が描かれている。
その中でもナイル川上流に位置する場所には(4つ目の切り抜き)他の巨大樹よりも更に描き分けられている樹木があったようだ。
これを最初に見つけた際、地下の油が燃え上がっている様子でも描いたのかと思った。
その後、4本のヤシを見つけ、これが巨大な木ではないかと疑い始めた。
比較対象として右上には3つのピラミッドが描いてある。
(ピラミッドについては後に映像を作りたいと思っている。不可思議な記録が多いためだ)
このピラミッドよりも大きく描かれている。
このピラミッドが仮にギザの三大ピラミッドだとすると、高さは140メートル、それよりも大きいということになる。
更に、小高い丘の上から生えているような描き方だが、この大きさだと根の張り具合も尋常ではなかったはずだ。
幹の太さ、枝葉の茂り具合も普通ではない。
周辺の木々と比較すれば一目瞭然だ。
丘陵、ではなく巨大な根が大地を盛り上げている様子なのではないか。
だとすると如何に当時のナイル川周辺が豊かだったかを物語っている。
地図に記されていないだけで、おそらくまだまだこうした自然の賜物は数限りなくあったはずだ。
確かめたわけではないが、おそらくもうこの巨大樹は倒壊して跡形もないのだろう。
どういうわけかこの手の巨大樹は現代まで残されることなく、ほぼ破壊される運命にある。

嘗ての文明の痕跡や巨大な自然を破壊してしまったことはもうどうしようもない。
しかしそうしたことを正史として後世に一切伝えない、というのは如何なる理由があるのだろう。
今書いてきたことも推測に過ぎない。
こうすることで得をする人々がいるのだろうか。

映像を作製しています。
この記事は作製した映像のテキスト版です。
映像の方も併せて見ていただけたら幸いです。


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