The power of Books 如何に読書が人生を豊かにするのか?
何故本なのか?
今回の課題のテーマである「ワクワクするもの」を思い浮かべた時、自分の心に真っ先に浮かび上がって来た「ワクワするもの」とは読書だった。では何故いの一番に浮かんだのが読書だったのか?その理由を探すために自分のバックボーンを辿ってみた。
読書と私
思い返せば私にとっての困難の壁、苦労してきたこととは、いつだって言葉という壁だった。私は日本でこそ生まれたのだが、物心が付いてから小学2年生までのおよそ5年間はネパールで暮らしていた。私が再び日本に帰国したのは小学生2年の時。クラスどころか町でも外国人は私ひとり。ネパールでの生活で日本語を忘れてしまった私は、言葉も文化もわからず授業も理解できず孤立していた。そこで、この状況をどうにか打破したい、友達が欲しいと思った私は、日本語を身につけるためにも空いた時間等は図書館で本を借りて読むことにも費やし、日々学習を重ねた。本を読めば読むほど言葉が分かり、言葉を理解すればする程、言葉によるコミュニケーション能力そのものが高まった。そして当たり前のことだが日本語でのコミュニケーション力が高まれば、自ずと友達が増えてきた。(ここに関しては、自分が外国人だったからこその特殊な事例であり、日本人にはあまり当てはまらないのかも知れない) また、読書は言葉を理解するためだけに役たったのではなく、日本の「文化」「慣習」を学ぶのにも大いに役たった。本で学び、実際の生活で体験し実践する。振り返って見れば、これの反復こそが私を日本での生活に溶け込ませた大きな要因だったと、今は強く思う。最初こそは、必死にまるでなにかの義務かように始めた読書であったが、上記の過程、結果を経て最終的に読書という行為は、私にとって最も「ワクワクするもの」となったのであった。だからこそ「人」は、ましてや「社会人」であるならば本を読むべきだと言うのが私の考えだ。
何故本を読むべきか?
上では、読書にまつわる自分自身の経験を元に書いたがここでは何故、特に「社会人」であるならば、本を読むべきなのか?ということについて、学習によって得た情報を通して述べたい。
まず、本を読むことは一般的な知識を広げるのに役立つ。今日、世界は毎日、毎晩変化しており、目まぐるしいタイムホイールを回っている。そのような社会で生きていく上で、学校、大学だけで学んだことはすべて十分なのか?学校では、教師は1つのクラス全体を教えているのであり、私たち一人一人に徹底的に教えることは到底不可能だ。ましてや社会人であるならば、自分自身で学ばなければならない。だからこそ、私たちは常に自分自身を進化させ最適化するために本を読む必要がある。
第二に、本を読むことは、人々の内部の世界がどのようにあるかを理解するのにも役立つ。多くの本には、家族、人間関係、友情、または愛に関する物語がたくさんあり、これらは読書をただ学問的な知識を得るためだけのものではなく、人々の内なる世界についても学ぶことを可能とする。これは、私たち社会人が(勿論そうでない人にとっても)人を理解し、接するためのコミュニケーション能力の大きな助けとなる。
第三は、世界的な成功者の共通点の一つが読書家であることが挙げられる。成功者の中には、年に何百冊という本を読む人もいる。それでは、なぜ成功者は本を読むことを習慣化しているのか。それには、大きく分けて6つの理由が挙げられる。
・高い教養が身に付く
・ 知識の総量が増える
・ 語彙力が身に付く
・ 創造性、想像力、思考力が鍛えられる。
・ 完成が磨かれる
・ 新しいアイディアが閃くきっかけになる
しかし、最近では活字離れという言葉があるように本を読むという習慣が減ってきている。社会人はとくに、「本を読むより、テレビやスマホで動画を観る方が面白い」、「仕事が忙しいので読む時間が無い」「漫画の方が面白い」等の理由で本を読まなくなってきている。
では、本を読んでいる社会人はどれくらい存在しているのか?
結果は
1.2冊ほど:33%
5冊以上10冊未満:10%
10冊以上:12%
読書しない:45%
となった。
読書をしないと答えた人が45%と最も多く、いわゆる読書かと呼ばれる月10冊以上読むと答えた人は12% と全体で2番目だった。確かに月に10冊以上、年間で言うと100冊を超える本を読む時間を作ることは、簡単なことではない。しかし、成功者ほど努力して本を読む時間を作ると言われおり、上で触れた6つのメリットは成功者だけでなく、私たちの社会人のキャリアで大きな役割を果たす。特に高い教養が身につく、知識の総量が増える、語彙力が身に付くというこの三つに関しては、読むことと学ぶことなしには身に付けることは不可能だ。
だからこそ、時間がないと言い訳せずに、読書をする時間を作ることが社会人として成功者になる方法の一つと言える。
「夢」but not yet decided
最初に少し触れた通り、日本で生まれ育った自分にとって「本を読む」ということはありふれたものであった。学校や図書館そして本屋さん等と、この国で本に触れるということはとても容易くまた当たり前のことだった。しかし、大学を卒業した後の4年と少しを自分の母国であるネパールで過ごしたことによって、その当たり前の価値観が大きく変わることになった。首都圏であるカトマンドゥではそうでもないが、山岳地帯や農村部等のインフラが整っていない場所では本を手に入れることがとても困難だ。勿論、多くの国(特に発展途上国)でその本が身近だという当たり前が当たり前ではないということは分かっていたが、それはあくまでもテレビの向こう側の世界の話だった。
本を読むことの素晴らしさを知らない子供たちや学生達が多くいる。
まだ確固とした「夢」として決まったわけでもないが、いつかはブックキャラバンでも率いって本を届けに行くのも良いかも知れない...............と今は漠然とそう考えている。