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【蓮ノ空感想文】「卒業」は悲しいだけの終わりじゃないよ、っていう話。 〜102期生の卒業と、その先について〜

 思えばこの一年は、今までの人生でもひときわ短く感じた、本当にあっという間の日々でした。

 時間というのは意地悪なことに、楽しい時ほど早く過ぎ去っていくもので。

 つまるところ、この瞬きのような一年が楽しいものであってくれたのは、間違いなく蓮ノ空のみんなと共に歩んだ一年だったからなのでしょう。




🪷蓮ノ空のリアルタイム性

 バーチャルスクールアイドルという新しい試みに惹かれ(あと夕霧綴理の顔と声とビジュアルと顔と顔があまりにも好きだったこともあって)、蓮ノ空の世界に飛び込んだのが昨年の4月。

 悩み苦しみながらも懸命に花咲こうと藻掻く彼女たちの物語を垣間見る日々のなかで、迎えた6月度撫子祭。今にして思えばあの時こそが、私が本当の意味で蓮ノ空に心奪われた瞬間だったのでしょう。


こずの"大丈夫"は、信用できない。
綴理の隣で踊れる自分に、私はなれなかった。


 私たちが彼女たちの事を知るよりもさらに前、102期の蓮ノ空に起きた悲しいすれ違い。 







 過去に心を囚われていた梢先輩と綴理先輩は、新たな出会いに救われ、もう一度未来へと歩き出す——まさにその一歩が、「いま」という時に足跡を刻む瞬間を描いたのが6月度FES×LIVEでした。


【DEEPNESS】


 あの瞬間、視聴者でしかなかった私と彼女たちの時間は確かに交わり——そして同時に、私はひとつの確信を得ました。



 蓮ノ空のみんなは、確かに「いま」、この時を“生きている”、と。



 “生きる”とは、終わりに向かう道行きのことです。

 これまでに歩んできた道のりこそが過去となって"今"の自分を形作り、いつか必ず訪れる終わりという未来へ向けて、「いま」というこの一瞬一瞬に全身全霊で向き合うこと。

 その営みこそを、私は“生きる”と呼んでいます。


 過去を超え、未来へと進むために。あの瞬間に撫子祭のステージに立った彼女たちは、紛れもなく彼女たちの「いま」を全力で生きていた。その貴くも儚い在り方が私の胸を打ち……そしてまた、否応なく私に“終わり”を意識させるものでした。


︰「いま」を描くからこその"終わり"の存在


 彼女たちが蓮ノ空女学院のスクールアイドルとして生きる以上、そこには卒業という明確なタイムリミットが存在します。

 撫子祭が終幕した日の夜、全身を包み込むような高揚感に浸りながら、私はふと、残る月日というものを数えてしまいました。

 21か月。2年弱という時間は、過去を乗り越え進み出したばかりの梢先輩と綴理先輩にとって、また先輩に手を引かれてスクールアイドルとして歩み始めたばかりの花帆ちゃんとさやかちゃんにとって、あまりに短いもののように思えました。



 けれど思い返せば、歴代のスクールアイドルたちもまた、きっと同じ道を走ってきたのでしょう。


μ's
Aqours
虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
Liella!


 アイドルとスクールアイドルの違い、それは「卒業」という明確な終わりの存在であると私は思います。

 どれほど望もうと、「卒業」してしまえばもうスクールアイドルではいられない。だからこそ、その限られた時間を素晴らしいものにするために、彼女たちは走り続けた。

 そうして走り抜けた果ての偉大な先輩たちの結末を、私たちは知っています。今この瞬間も先の景色を全力で走り続ける先輩たちを知っています。

 あまりに短い日々に、それでも後悔を残すことのないよう精一杯に生きた少女たちの物語が、どれほどに人の心を動かしたのかを。



 そんな“スクールアイドル”という生き様に、きっとかつての乙宗梢も夕霧綴理も憧れたのでしょう。だから二人は蓮ノ空に入学し、そして躓き転びながらも、憧れへと手を伸ばし続けた。

 だからきっと、これからも立ち止まってはくれないのでしょう。

 志を同じくする仲間たちと支え合いながら、彼女たちは“終わり”へ向けて全力で走っていく。



 その在り方は、これ以上ないほどに“スクールアイドル”だと、私は思うのです。



 去年、6月29日の夜。一抹の寂寥感と、惜しみない尊敬を胸に。私は一人のファンとして、彼女たちの残る21か月の道行きを応援しようと心から思ったのです。


︰6人と、みんなで駆け抜けた1年間。"終わり"への折り返し地点。


 そこからの日々は、私にとっても激動で、あっという間の毎日でした。

 蓮ノ空のみんなの配信を楽しみにしながら、活動記録という形で語られる彼女たちの足跡に一喜一憂する。


ちょっと困ってる(でもやってくれる)梢先輩好き


 歳を重ねるにつれ久しく忘れていた感覚は、どこか学生だった頃を思い出すような懐かしいものでした。

 あの頃は決して楽しい事ばかりではなかったとしても、毎日が鮮明で。目まぐるしい毎日のなかで藻掻き、懸命に息をするような。

 そんな色鮮やかな青春の日々を、蓮ノ空で生きる彼女たちは「いま」まさに送っているのだと実感するにつれ。やはりどうしてもその限られた時間が幸せなものであってほしい、と。そう願わずにはいられないものでした。


 だからこそ、8月のめぐちゃんの復帰。 

10月の竜胆祭と、 

一つ一つ過去の呪縛が解けていくなかで、遂に迎えた11月のオープンキャンパス。

 沙知先輩と綴理先輩との間にあった最後のわだかまりが解け、ずっと自分の事をスクールアイドル見習いと呼んでいた綴理先輩がようやく自分もスクールアイドルだと言えたとき、心の底から「ああ、よかった」と思ったのです。


 ずっと過去に苦しんでいた綴理先輩が多くの人の想いをツバサに変えて、ついに自由の空へと羽ばたいた。あの雨が上がった瞬間に、すべての悲しい出来事は過去へと変わり、蓮ノ空のみんなは眩い未来へと進んでいくのだと。そう確かに信じられた瞬間でした。


 そして、少しばかり思い上がったことを言うとすれば。孤独だった彼女のツバサの羽根の1枚が、自分たち応援するファンの想いでもあってくれたなら。それは望外の幸福というものなのでしょう。


 1月。満を持して挑んだラブライブ!決勝で、蓮ノ空女学院は敗れました。みんなそれぞれに痛みを抱き、しかし1年という時間のなかで成長してきた後輩たちは、もう先輩たちを立派に支えることができます。

「いっしょに夢を、信じてくれる……?」
「もちろんです! あたしたちで――夢を叶えましょう!」
「隣(ここ)にいるのが、全てですよ♪」
「2人で!」
「うん! 2人で」
「世界中を夢中にしよう!」


 そして次は、彼女たちこそが先輩となって次の後輩たちを導いていく。



 その蓮ノ空の伝統が続く限り、きっとこの先なにがあっても大丈夫だ、と。私はごく無邪気に、そう信じられるのです。




🪷「卒業」という"終わり"の、その先で


 そして、3月。常にスクールアイドルクラブの一歩前を歩いていた沙知先輩は、やはり最後も一歩先の道を示すように、蓮ノ空を卒業していきました。


「ありがとう」

 クラブを離れてもなお、蓮ノ空のスクールアイドルで在り続けた彼女であっても。冷徹に、淡々と終わりの時はやってきます。


102期、蓮ノ大三角


 第104期。2024年度こそが、梢先輩・綴理先輩・めぐちゃんにとっての最後の年となります。

 来年の3月を超えた先に、もうあの3人はいない。

 その未来を思うとどうしようもないほどに寂しく。けれどきっと意地悪なことにこの1年もまた、あっという間に過ぎていってしまうのでしょう。



 どれほど楽しいひと時も、いつかは終わる。

 愛しい「いま」は過去に過ぎ去って、二度と戻ることはない。

 でも、だからこそ。瞬きのうちに過ぎ去ってしまうこの「いま」が、そこで生きる彼女たちが、私はたまらなく愛おしいのです。




 彼女たちの物語に、いつか必ず「終わり」はやって来る。

 だからせめて、いつかの未来で思い出したとき。それがかけがえのない大切な思い出であってくれるように。
 思い出が後悔で色褪せることのないように、ただこの「いま」を全力で。

 蓮ノ空の彼女たちも、また私たちも。
 そうして生きて、走り続けたその先で、いつか終わりを迎えても。

 限られた時間のなかで精一杯に咲いた大輪の花は、もう決して朽ちることはないでしょうから。


終わりがあるからこそ、その一瞬は眩く


 「いま」は過去に、そしてかけがえのない思い出となって永遠に残り続ける。
 私にとっての【永遠のEuphoria】は、きっとそういうささやかな温もりのことを云うのだと、そう思うのです。


︰結び

 「いま」を全力で生きる蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブのみんなが、いつか咲かせるであろう綺麗な花。それこそが、私たち蓮ノ空のこと好き好きクラブのみなさんにとっての決して色褪せることのない永遠の思い出になる。だから、寂しくはない。何も心配はいらない。


 その未来を思うと、それだけで、私はどうしようもなくワクワクしてしまうのですから。




 こんな最高の気持ちにさせてくれた蓮ノ空のみんなと、蓮ノ空を支える全ての人たちにあらためて心よりの感謝を述べまして。

 稚拙な文ではありますが、これをもって私の【蓮ノ空感想文】とさせていただきます。


 本当に、ありがとうございました。

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