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学問・芸術・実践(前編)

学問・芸術・実践

 昨年度、私は教育現場でのボランティア活動や地域でのプロジェクト活動に参加しながら、「学問」――あるいは「理論」――と「実践」とを往還することを意識してきた。今年度そこに、学問にも実践にも還元されえない、「芸術」という第三の要素が加わった。こうして、私の2022年度上半期の学びを総括する、そして下半期の学びで志していくものでもあるテーマは、「学問・芸術・実践」となった。

芸術から始める

写真という芸術

 この文章は、2022年8月10日にバーチャルコーヒーハウスと題された会での私自身の発表を元にしている。そこでは、私は2月に実施した同会での自分の発表内容を振り返ることで、学問から話を始めたのであった。しかし今回、note原稿として語り直すにあたって、あえて今回は芸術という第三項から話を始めてみようと思う。なぜなら、今年度上半期という期間の――昨年度までにはなかった――私の最も特徴的な点は、この芸術という第三項にあるからだ。
 ひとまず、ここで芸術と呼ぶときに具体的に想像しているのは「写真」である。写真は――より適切に言えば、カメラは――私にとって長い間趣味であったし、今ももちろん趣味の一つである。しかしそれはこれまでは、「きれいな風景」を撮るという意味においてであった。今年度、私にとって写真はそれよりも広い意味を帯びるものとして感じられるようになった。

 ひとつの契機は、「Monde de Mondo」と題した写真集をつくったことにある。これは、高校1年生から大学2年生までの5年間で撮ってきた写真を整理して1冊にまとめたもので、新型コロナに罹患していた3月に制作したものである。この写真集は、その5年間のある意味で集大成であり、そして同時に私が写真というものを丁寧に考えるきっかけでもあった。ただきれいな風景を撮ればそれでよいのか、写真には更なる広がりが、可能性が存在するのではないか――そうした問いが私を、それまでとは大きく異なる写真を、まるで何かを試すかのごとく撮りはじめるように仕向けた。

realityとimaginarityのあいだで

 これは、夜の風景にレンズを向けたうえで、あえてピントを大きく外すことによって撮れる写真である。いくつかの色の光が不規則に並ぶ様は、それが一体何を写したものであるかは教えてくれないが、その代わりに神秘さを差し出しているようにも感じられる。どこか現実世界から離れた、imaginarityに属する世界の描写であるように見える。しかし一方で、この写真は、紛れもなく高速道路のインターチェンジを撮影したものであり、あまりにも日常的で現実的な、realityに属する世界の描写なのである。realityとimaginarityとの間で揺れ動くこの一枚の写真は、写真という芸術にどのような可能性を開いてくれるのであろうか。

現実を単に描き与えるものとしての写真

「非/日常」

 私が写真というものを考え始めたのは、ちょうどこの写真「非/日常」を撮影した頃であった。これは、福島県にある葛尾村という、帰宅困難区域に隣り合わせた村で撮影した風景である。先に続いていくかのように見える道路の先に小さくガードレールが写っているが、その先は今もなお原発事故の影響によって入ることのできない区域である。もちろん、写っている道も田も、来ることは可能な区域だとは言え、日ごろは誰も訪れない場所となってしまっている。ありふれた日常の風景を描いているようでいて、そこにあるのは決して日常とは言いがたいものである。
 重要な点は、この地域の先が帰宅困難区域であるということではない。重要なのは、この写真は原発事故を非難するものでも、日常の有難さを訴えたものでもなく、ただ単にそこにある現実世界を映し出したものに過ぎず、それ以上では決してないということだ。私たちは、その写真に何らかの意味を込めて見ることはできるが、写真自体は非常に価値中立的な存在なのである。それに、私は実際にこの地に足を踏み入れ、カメラを構えて、そして初めて気が付いた。葛尾村を訪れるという実践が、私にカメラという芸術に新たな気付きと可能性を与えた瞬間であった。

歌舞伎町との出会い

 写真は、私を新たな出会いへと導いた。歌舞伎町との出会いである。そしてこの歌舞伎町との出会いは、のちの新たな実践へとつながるものでもあった。
 歌舞伎町を私が実際にしっかり訪れようと決断したのは、夜景を取りたいという欲求によるものだった。「Monde de Mondo」の裏表紙からもわかる通り、私は元々夜景の撮影が写真撮影のなかでもとりわけ好きで、度々様々な夜景スポットに足を運んでいた。歌舞伎町は、それまでの夜景とはまた違う夜景を撮影するのに絶好のスポットなのではないかと思い、恐る恐る足を運んでみたのである。
 結果から言えば、それは私にとって大きな転機となる、重大な経験となった。それまでとは違った夜景を撮影できたのはもちろんだが、実際に直接見たことのなかった裏路地まで歌舞伎町を歩き回り、その町自体をも知ることができたのである。その中で私は、「トー横」と通称される東方シネマズの西側にある広場を訪れた。そしてこれが、私の新たな実践の始まりとなった。

実践、そして学問へ

トー横という場所

 夜景撮影のために歌舞伎町を訪れるよりも前から、トー横という場所の存在は知っていた。端的に言えばそこは、若者(中高生世代から20代まで)が集まっている広場である。特にコロナ禍において、家庭内に居づらさを感じている子ども達がSNSを利用して知り合い、長い間居続けるようになった場として有名である。問題視されているのは、そこにいる人々が単に集まっているというだけでは済まず、性犯罪や殺人事件などに巻き込まれるケースが続出している点にある。つまりそこは、端的に言って「危ない居場所」である。
 そういった知識をインターネット上で仕入れつつも実際に訪れたことのなかった私は、この日歌舞伎町を訪れ、初めてそこでの人々の過ごし方を目にし衝撃を受けたのである。歌舞伎町のその様子についての記述は別の機会に譲るが、それ以来その衝撃を私は忘れられず、時折歌舞伎町を訪れてはこのトー横の在り方に直接目を向けるようになった。ときには写真を撮りに、ときには散歩をしに、ときにはゴミ拾いのボランティアに参加しに、まずは実際に繰り返し現地へと足を運ぶようにしたのである。

「居場所」としてトー横を訪れる

 どうして私がここまでトー横に興味を持つようになったかというと、それは、トー横の存在が私の学問的関心と合致していたからである。つまり、このトー横という場において芸術と実践と学問とが交差していたのである。
 私の学問的関心の中核にあるのは、「ケア・対話・居場所」という3つ組の概念である。中でも「居場所」という概念は、今年度に入って特に私が追求してきたテーマであった。その背景は後編に譲るとして、ここではひとまず、人々にとっての「居場所」とはどのようなものか、それはどのようにしてつくられるのかを私が問い、そして考え続けてきたということが重要である。
 トー横は、紛れもなくそこにいる子どもたちにとっての居場所であった。しかしそれと同時にそこには依存性と犯罪性という危険が存在していた。子どもたちがトー横にいるのをただ見過ごすのは犯罪の観点からして適当でないかもしれないが、しかし子どもたちをトー横からただ帰らせるのもまた、居場所の観点からして不適当である。トー横という場を、そしてそこにいる人々のことをどう考えたらいいのか。そうした自分の問いになかなか答えは出せないまま、私は繰り返しトー横へと足を運んできた。


後編に続く


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