【雑記】いそがしいわたしたち
夜、23時半。
自分のなかのはやる気持ちを抑えるように、ジントニックを飲む。勢いで買ったクラフトジン「六」はやはり美味しくて、買ってよかったと思う。そんな話ではない。
鼓動が少し早い気がする、別にお酒のせいではない。なんか、自分が、急いでいる気がする。心なしかタイピングのスピードも早い。それは気のせいかも。
最近、みんないそがしいなぁって思う。
後輩たちの様子を見聞きしていると、みんないそがしくてなんか疲れているように感じる。先輩たちの話を聞いても、やっぱり社会人生活はいそがしそう。自分のいる職場の大人たちも、大学生も、みんなちょっとずつ忙しそうで疲れている感じがする。かくいうわたしもたぶん忙しい。わかんない。いそがしくないのかもしれないけど。もう何が忙しいのかもよくわかんない。
わたしたちはいったい何にいそいでいるのだろう。
学生団体の運営で当方に暮れる大学2年生。
自分の進路の決定のために自分のやりたいことを見失う大学3年生。
卒論書いたりその先の進路考えたりに時間を割けない大学4年生。
今までとガラッと変わった生活で考える時間などない社会人1年目。
わたしたちはみんな忙しい。
ただのステレオタイプかもしれないけど。でも、わたしの目の前にいるひとはたしかにいそがしそう。
わたしたちはいったい何にいそいでいるのだろう。
みんないそがしいなぁって思うと、わたしはついつい、社会を責めてしまう。就活を急がせる社会が、みんなに優しくない社会が、競争主義の社会が、効率を求める社会が、って。
社会ってなんだろう。いったい、なにを僕は敵にしているのだろう。
たぶん、誰を敵にしていいかわからないから、社会とかいう大きなものを、あるかわからない大きなものを敵にしてみているのだろう。わかんない、あるのかもしれないけど。ここらへんを専門の人と議論したいわけではないから一回おいておく。
社会があるかどうか置いておいて、わたしが「社会が悪い!」って言ってしまうのは、少なからず、社会以外何を批判したらいいかわからないからな気がする。
いそがしそうにしている目の前の人に、「そんなにいそがしくしなくていいんだよ」っていくら声をかけていても、うまくいかないから。うまくいかなかったから。ちなみに、声をかける目の前の人は自分自身のことももちろんある。
みんながんばって生きてるなぁって思うのだよ。だから、がんばっているそのひとに「そんなに忙しくしなくていいよ」なんて言いたくなくて、ついつい「急がせている社会がわるい」って言ってしまう。いいとか悪いとかじゃなく。そんな気がする。だからどう、とかない。深読みしないで。
深読みしたひとも、たぶん急いでいるのだと思う。
深読みがいいとか、悪いとかじゃないよ。でも、何を言いたいのか、すぐに読み取りたくなってしまう、急いでいるから、わたしたちは。十を聞かずに十を読み取ろうとしてしまう、十を聞いている時間はわたしたちにはないから。ほんとうにないのかはわからないけど。少なくともない気がしているから。
「わたしたち」って誰だよ、自分は急いでなんていないけど? って誰かに言われるんだろう、きっと。まあ、急いでいない人もたぶんどこかにいるよね。急いでいる人にも急いでいない時間だってあるだろうし。わかんない、急いでいない時間がなくてつらい人もきっといるだろうから。
いそがしさなんて人それぞれだよねって。誰かは言いそう。あんまり僕は「人それぞれ」って言いたくないからそうは言わないけど、ずっと急いでいる人も、時々急ぐ人も、あんまり急いだことのない人もいるのはそうだと思う。
ずっと急いだ先に何が待っているかって考えて、そこにお金持ちとか多才さとか成功とかを見出すのなら進歩史観で、そこに死を見出すのならニヒリズムなんだろう。こんなときに歴史学者やら哲学者やらの言葉をかっこよく引用してみたい人生だった。こういう、「〜な人生だった」みたいな表現こそが急いでいるのかもしれないね。
どっちにしろ、私たちは急いでいることに変わりはなくて、その先に何があろうと、とりあえず急いでいる以上疲れてしまうときがある。
ちょっと疲れたなって、ただそれだけ。
急ぎすぎてちょっと疲れたな、ちょっと休もうかな、って。
そういう時間がとれればたぶんそれでいいんだけど。
そんな都合よく忙しさってとめられなかったりもするから、だから困っちゃう。じぶんがいそぎすぎていることはじぶんが一番わかっていたりもするから。「急ぎすぎだよ」とか「ゆっくりね」って言われるとむかついたりもきっとするのだよね、むかついてしまうこと自体急いでいるからだったりするんだけどさ。
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