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二元論について

だいぶ遅い時間ですが、結構あれです。
私は大学二年生ぐらいのころ人生って暇つぶしだなと感じたことがあるのですが、暇つぶしなら思いっきり楽しもうって同時に思いました。

かつそこから思想のお勉強や議論、旅を通して結局誰かのためになることをすることが全てだと思うようになりました。

この二つを融合するとめっちゃいいなと思ってます。

あ、今日のテーマは「二元論について」です。

私は言い切りがとても苦手だ。

世の中0か1かな訳がなく、正解なんて存在しないし、極論に走っていると気がつけないことはとても恐ろしいことだと考えている。

これはビジネスをする上ではなかなかやっかいな性質だか、今は横に置いておく。

具体的な事象を挙げればキリがない。
世の中には絶対的なものとしてキリストを置く人もいればヒンドゥーの神を置く人もいるし、お金こそ全てと言う人もいればお金は二の次だと言う人もいる。
殺人はダメだと言う人もいれば殺してこいと言う人もいる。

つまりは二元論、ここでは二つに限らないので、0か1かの思想と言い換えた方がいいかもしれない、は疑問を抱いてしまう。

え?
と思う。
コミュニケーションを円滑に進めるために話を受け入れることはよくあるが、Aが絶対でしょと言われて納得したことはない。
絶対という言葉や言い切り文句というのは使い様によっては人を動かす時にとても便利だが、間違える可能性も大きい。

とはいえ、物事を前に進める(少なくとも進めた様に見える形にする、お金を稼ぐ)ためには有効らしい。

ただ私はどうもここを納得し切った状態でいることは難しいと感じる。

今の日本ではそれほど感じない(コロナの右翼左翼なんかは私としてはエンタメにみえる)が、かつてはこの二元論的思想、言い切り型の発想、絶対という想い込みが人を安易に殺していたであろうということは常に胸に留めておきたい。

私にとって健全に生きるということはこういうことなのかもしれない。

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