インドの自殺と日本の自殺

私は日本の自殺、大きくいうと先進国であり一部の国や人から憧れるような場所に生きる人間が自殺することに大変悲しい。

そういう想いを抱き続けている。

それに対しての打ち手を教育に見出し、文科省を目指したり社会装置としての宗教といふものを検討したりと思考を展開させてみた。

日本の、50代男性が老後を見たときに自己性を見失って自殺をする。

そんなに悲しいことが世の中にあるのかと。
どうにかできないかと思い倦ねていた。

ところが世界に目を見開くと、その前に一度のテストによって将来の機会が失われたと感じて死んでしまう命があり、もっと言うとここに産まれたからという理由で諦めてしまう人間がいる。

命の価値は対等だろうか。

インドでは受験で失敗して毒殺による自殺を図る人がいる。

50までも生きようとは思えず、希望など見出せないのだろう。

より私が影響を与えたいと思うところに身を置いているが、結局私に何を変えられるかは、これからである。
 
これからパレスチナ自治区とイスラエルとをより深く知る中で、何を感じ、自分はどう生きるのだろうか。

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