あの店が無くなったらしい

初めまして。おがたこと申します。

生まれは滋賀→神奈川、育ちは新潟、東京で電気専攻の大学院生、最初の職場は千葉市で今はまた都内に戻って来て働いています。

実家は割烹を営んでおり、私も小さい時は板前になるんだ!と意気込んでいましたが、高校ではラグビーに打ち込み、大学では電気学科に進学し、結局大学院までパワエレを学んで、今では人材系の会社にいます。人生どうなるのか分からないですね。


さて、このコロナ禍でたくさんの飲食店が倒産せざるを得ない状況になっている、とよく聞きます。

まだ身近なところでの話は聞いたことありませんが、、、

本文に出てくるお店が無くなってしまったのは、コロナとは関係ありませんが、ふと文章にしてこの気持ちを残そうと思い、筆を取ることにしました。なので本文章は、読んで何か得られるとか、ためになるとか、そういう部類のものではございませんので、ご了承ください。しかも書き始めてからだいぶ時間が経っています。


さて、私は冒頭にもあるとおり、電気系の大学院を卒業しました。

学部で学んだことをどれだけ学外にアウトプットできるのか挑戦してみたい!という気持ちがあり、実家の座敷で両親に頭を下げたことを覚えています。ただ一方で学部の特徴で、ほとんどの学生が『進学』という選択をするので、周りに流されていた、というのもありました。


しかし、進学し大学院でも同じ研究をするためには、”院試”でライバルよりも高い点数を取り、面談で上手なことを言わなければ、同じ研究室には入れないのです。研究室ごとに定員が決まっており、入試枠を同期と奪い合うような感じでした。(私は推薦枠が取れるほど優秀ではありませんでした。)


私の希望する『パワエレ研』は先生の人柄もよく人間関係も良好、またいわゆる大企業へ就職している先輩が多く、学外からも志願者がいると噂されていました。


めちゃくちゃ勉強しました。


微分方程式や複素数、周期関数にインピーダンスに波動関数や電磁気学、回路方程式などなどなど。今はもう覚えてないですね。。。

そんなこんなで大学受験の時期より勉強してました。そんな大学院入試が終わった時は何かもう燃え尽きた感じが凄かったです。京王線で新宿駅まで行って、新宿から豊田駅行きに乗って、一駅くらい歩けるだろうと思って、豊田から八王子まで歩きました。

結構遠くて、歩きながらふと、『あ、美味しいビールが飲みたいな』って思ったんですよね。すぐにスマホで『京王堀之内(最寄駅) 美味い ビール 飲める店』とかを検索した記憶があります。

それがあの店との出会いで、私が初めてバーと呼ばれるものに入った日でした。

中の見えない、少し重い扉を開けて、「1人なんですけどいいですか?」ってギリ聞こえるかの震えた声で言った覚えがあります。

気さくなマスターに「初めて?」なんかを聞かれて、ビールの粋な頼み方を教えてもらいました。「こういうところではね、『ドラフトお願いします。』って言うんだよ」とか、「初めて入ったバーではジントニックを頼むといいんだよ。」とか今でも、倣って言うようにしています。

他のお客さんとも会話できるように回してくれて、たくさんの会話をしました。また次のnoteがあれば書きたいです。

で。そのお客様が私に奢ってくれたんです。初めて美味しいウィスキーを飲みました。正直ウィスキーなんて学生の飲み会の罰ゲームでしか飲んだ(飲まされた)ことがなかったので衝撃を受けました。

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OMCシリーズのクライヌリッシュ 16年 味とか覚えていないんですが、シェリー樽の香りが〜とか、デザート食べているような衝撃を受けた気がします。そっからはバーとウィスキーにどハマりし、こんな人間の出来上がりです。最近はカリラを適当に飲むそんな日々です。


そんなお店がなくなってしまいました。なんでか知らんけど。マスターはほぼ毎年のようにスコットランドに遊びに行って蒸留所見て帰ってくるみたいな素敵な方でしたし、お客さんも気さくでウェルカムな方が多く、一方で酔っ払いなどには厳しく、そこの聖域が守られていました。

久しぶりに南大沢の方へ行く用事があった時、お店に行こうとすると、張り紙が貼られていて、「嘘だろおい」みたいな気持ちでお店の周りをぐるぐる回ったのを思い出しました。

京王堀之内の洋酒屋さん、と言うか自分の関わりのあるお店が無くなるのは非常に切ないなと思いました。そんな感じです。きっと人生そんなもんです、自分のコミュニティが広くなったり狭くなったり増えたり減ったり、そうやって大人になっていくと思うんです。でも割り切れないのも人生らしくっていいじゃないですか。


終わり。

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