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それぞれ硬度の違うからだ(日記)

新宿駅、出発を待つ電車の中、私の前に立っている彼女が青い顔をしていた。

それを見た私はなぜかふと『宝石の国』のことを考えている。そこに住む彼らは宝石のからだを持っていて、それぞれ硬度が違う。同じくらいの硬度を持った者同士なら触れ合うことができるが、あまりにも硬度に差がある者同士——例えば硬度3半のフォスフォフィライトと硬度10のダイヤモンド——が触れ合うと、硬度の低い方はからだが割れてしまう。

私が住んでいる世界にも似たところがあると思う。彼女のからだは私ほど頑丈ではない。私には満員電車で立っていることが大したことではなくても、彼女にとっては耐え難いことかもしれない。とはいえ、自分から「満員電車で立っているのが耐え難いので、一本遅らせて、次の電車で座りましょう」と言わなければならないことにもまた別種の苦しみがある。

私は自分のからだと彼女のからだの差をいつでも意識できているわけではない。私とあなたは異なるからだを持っているということをうっかり忘れたとき、衝突する。そして、いつも傷つくのは弱いほうのからだである。

だから自分の傷つきやすさを自覚する者は自衛しなければならない。とはいえ彼女の場合、自分のからだの都合で一緒にいる誰かの行動を制限することに申し訳なさを不可避的に感じてしまう。実際、他者に合わせなければならないという状況になると苛立ちをあらわにする人をよく見かけるし、そういう人がまた彼女を申し訳なく思わさせる。しかし当然のことながら、自分のからだの限界に申し訳なさを感じる必要は、どんな人にもまったくないはずである。

強いほうのからだを持つ者は、常に自分より弱いからだを想わなければならない。ただし言葉に騙されてはいけない。すべてのからだはそれぞれに異なっていて、それは硬度というひとつの軸で数値化できるようなものではなく、それぞれが固有のあり方で異なっている。

フォスフォフィライトは誰よりも脆いからだを持っているから誰とも触れ合うことができなかった。まわりもそれをわかっていたから気をつけてはいたけれど、やはり自分の体ではないから、うっかりするときもある。だから彼は自衛しなければならなかった。しかし彼は、自分のからだを守ることで精一杯の役立たずでいることに、耐えられなかったのだ。だから彼は「大丈夫」だと言って、仕事を求めた。

私の彼女が「大丈夫」だと言って青い顔をして満員電車で立っているとき、私はフォスフォフィライトのことを、ふと思い出す。あるいはなぜか、Eテレの「バリバラ」で、登山がしたいと言った脳性まひの男性のことなどを。

それでようやく、私のからだと彼女のからだがまったくと言っていいほど同一でないことを、その差異を思い出す。それを忘れていたことに気づく。

しかし彼女は、「座って次の電車を待ちたい」と言い出せずにいる間、その差異を黙って見つめていたのだ。


私たちのからだは一本次の電車で帰ることにした。

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