Opium 2.マージ #VRChatと小説

この物語はフィクションです。
実在する人物、団体、プラットフォームとは一切関係ございません。
あらかじめご了承ください。

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 やってきた場所は、とほうもないくらい広い草原だった。
 雲の流れない、いつもどおりの青空と、だだ広い草原。視覚効果のせいか、視界はすこし靄がかっている。
「ユキちゃん、どこかな」
 私はユキちゃんを探しにこの場所へやってきた。ユキちゃんは、私の、気安いともだち、のひとりだ。
 この世界には、気安いともだちと、気安くはないともだちの二種類がある。もっといえば、その二種類しかない。そのように、マージされている。
 ここ何日かはずっと、ユキちゃんを探している。一日中、おにごっこのように、かくれんぼのように、世界中を彷徨っている。
 それまではずっとしゃべってばっかりだったので、私にとってそれは新鮮だった。ひどくみずみずしいきもちで、私は世界を楽しんでいる。
 私はまず、メニューウィンドウを開いた。そうすることで、相手の出している撮影用カメラの座標なんかが、表示されることがあるのだ。
 しかし、見当たらない。さすがにそこは抜かりなかった。
「今日こそ先に見つけてやるからね」
 きっと孤独であろう部屋の片隅で、私はディスプレイの向こう側で、そうひとりごちた。

 世の中の解像度の高さから逃げたいと思ったのは、いつからだったか。
 それを覚えていられないほどに、私はこの仮想空間に身をゆだねている。優しく、未発達で、何もかもがマージされている世界。
 私自身もそうだ。ポリゴンのかたまりになって、このくさむらの上に表現される私は、現実の私を、マージしている。そのようにしてマージされた私は、マージされたユキちゃんを、マージされた世界の中で、マージされた関係性に基づいて、探している。
 なぜそうあろうとしているのか、私にはわからなかった。それはおそらく感情のような、衝動のようなもので、それだけがマージされないまま、この草むらにころがっている。
 そして私は、それを気に留めないようにした。私は私の思考をもマージした。視線を、自分の内から外へ、外から、画面の粒の中へ移した。

 草原をある程度うろつきまわって、それでもユキちゃんは見つからなかった。メニューウィンドウを開いて、もう一度ユキちゃんの現在地を確認する。
 ユキちゃんは、たしかにこの場所にいる。エラーや、処理の遅延さえ起きていなければ、の話だけれど。
 実際そうなのかも、と私は思った。
 この場所はすべてが曖昧で、大雑把で、そこにある正しさを判別できない。現実にも同じようにある不確かさが、目に見えるかたちで、浮き上がっている。
 どこかへ行ってしまおうか、とも、私は思った。私は、そこにあるものを疑い始めていることに気づいた。
 もう一度メニューウィンドウを開き、今度はユキちゃん以外の気安い友人を探し始めた。熱を喪ったポリゴンのかたまりが、視界を覆うように横切っていく。
 私は冷や汗をかいていた。それは感情だった。マージされておらず、不確かで、私はそれを理解できない。
 ふ、と、気配を感じた。空気に触れるでもなく、音を鳴らすでもなく、それがそこにあるように、私は意識した。
コントローラーのスティックを倒し、私は振り返る。
「わっ」
 そこにはユキちゃんがいた。ユキちゃんは、小さな少女の顔で、私をみつめていた。そして、なにごとかを言った。
 ユキちゃんは、機械で思い切り声をゆがませている。だから、何を言っているのかわからない。ユキちゃんは、たぶんそれを楽しんでいる。
「あんまり見つからないからびっくりしちゃったよ」
 すっと汗が引いていく。それで、私が怯えていたというのが分かった。
 ユキちゃんは、何か身振り手振りをしている。時折不意に表情が変わる。不可抗力なのか、意図して表情を変えるように操作しているのかは分からない。私はそれを理解しないまま頷いている。
 そこにあるものが、ただ異様なだけであるという事を、私はじゅうぶんにわかっている。けれどそれは私にとって正しいものであると、私は信じている。ユキちゃんがどうなのかは知らない。私は、私の感情のために、ほかのすべてをマージする。それでいい。ここはそれを、赦している。
 やがてユキちゃんは私に背を向け、メニューウィンドウを操作するそぶりを見せた。それからすぐに、別の場所への入り口が出てきた。SF映画にでてくる、ワームホールのような見た目のそれに、ユキちゃんは飛び込んでいった。
 私は入り口に掲げられた題目を見た。それは迷路らしかった。誰にも聞こえてなんかいないのに、私は大きなため息をついた。そして、その入り口に飛び込んだ。

「そりゃあ大変だったね」
 そうして終えた私の話に、ショートさんはねむたげな声で答えた。
「ユキちゃんなっていってるか分かんないし、自由きままだもんねえ」
 別の人が中腰の姿勢で相槌を入れる。
 あれからしばらく、私はユキちゃんの行軍につきあった。そのうち見つけるのがだんだん難しくなって、いよいよメニューウィンドウにも見当たらなくなったので、そのままこの部屋に流れ着いた。
 この部屋にはよく来る。気安いともだちが、それなりに集まるからだ。そのなかでもいちばん気安いのが、ショートさんだ。
 ショートさんはやさしくて、たのしい人だ。いつもはダンスができるところで踊っている、と言っている。しゃべるときはたくさんしゃべる。ことばをたくさん持っていて、使い分けることのできる人だ。
 りん、とチャイムが鳴った。私のともだちでない人だった。コノハナさん。何度か見かけたことがある。
「こんにちは」
「こんにちはあ」
 ほどなく発せられた機械音声に、私はきわめて儀礼的に返事をした。このやり取りにも、覚えがあった。
 このひとと私は、かつてもここで同じやり取りをした。そして私は、この人のことを、あまり好ましいと思っていない。
「コノハナさんだ。やっほ」
 ショートさんが、鏡に向かって手を振る。それに応答するようにコノハナさんは笑顔になって、同じく手を振り返している。
 私は、私の胸の奥に小さな淀みがあることを理解した。けれどそれを、私はひけらかさないようにした。この仮想空間に表示される、マージされた私には、そんな淀みは必要ない。
「オダさんがさ、明日飲み会やるって」
「また?」
「あすこの新作のモデルがさ、かわいくって…」
「お前昨日それ買ったばっかじゃん」
「服が消えちゃうんだけど」
「どこ弄ったの?」
 十人くらいのたましいが、同じ部屋の同じ鏡を見ている。マージされた音で、マージされた仕草で、眠るように心をほどいている。私はそれぞれの話に相槌をうちながら、意識だけがコノハナさんへと向かっていた。
 ショートさんは、そのほかの友達と飲み会の話をしている。コノハナさんは、その横でショートさんの頭をなでている。
 コノハナさんは何も言わない。感情をマージして、笑顔を張り付けたままただそこにいるだけのひと。
 悪い人ではないんだろう。ショートさんも、たぶんそれを許容しているのだ。けれど私は、ただその光景に、居心地の悪さを感じた。ここを離れる理由にはなりえないけれど、見なかったことにすることはできない、そういうたぐいの不快感だった。
 汗の、マージされることのない生々しい感触が、ふたたび蓄積されていく。それはこめかみから頬をつたい、顎のあたりにたどり着いてから厭な均衡を保っていた。
 意識だけ、鋭敏になっていく。それ以外が、マージされる。私の中で、二つの感情が行ったり来たりを繰り返している。一つは合理性の中にあり、もう一つはプライドの中にある。そしてそのどちらもを、私は意地汚く思った。
「あ、時間だわ」
 声がした。ショートさんの声だ。私の視界が、いっぺんに広がった。
「今日イベントだったわ。行ってくる」
 そのままショートさんは挨拶も待たず、部屋からいなくなった。コノハナさんも、所在なさげに右手をうろうろさせたあと、さようなら、とだけ告げて、同じようにいなくなった。
 いなくなってから、しばらくして、ともだちの誰かが言った。
「あのふたりってさ、つきあってるのかな」
 私はそれまでの感情を全部マージして、どうかなあ、とだけ、返した。

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