白いカラス(5) ーアルカディアとユートピアー
掲示板には以下のように書かれています。
掲示板を見た詭弁論部3人の会話。
ko◯uro先輩「こりゃ、侵攻されないよう、防衛しなきゃなりませんね」
な◯た師範「そんなの、議論する必要なんておまへんでぇ。一体どこが、侵攻して来ると思ってはるの?」
清〇師匠「でも、議論はするでしょう、普通」
ko◯uro先輩「そうそう、あるじゃないですか、日本の周りには怖い国が」
な◯た師範「よろしいですか。
改憲反対派の見解を信じれば、我が国はアメリカが武力紛争でも起こして、それに巻き込まれない限り、攻撃目標にされることはないんですわ。
それに、資源のない日本に来てもメリットないですやん、というのが、改憲反対派の主張。
そもそも、憲法9条があるのに、日本に何ができるっていうんですの?」
ko◯uro先輩「だから、憲法9条についての議論が・・・」
清〇師匠「そうそう、日本が丸裸になれば、幸せになれるって信じていいんですか?」
な◯た師範「清〇師匠の主張からは、軍備戸締り論が帰結しますね?
よー、考えなはれ。
そもそも戦争の道具である軍事力をもってして戦争抑止をはかるということが非論理的、詭弁ですわ。
防衛力の向上を目指して軍備を増強することは近隣諸国への軍事的脅威となり、軍事バランスを保つためと称した相手国の軍備増強を促し、果てのない軍拡への道をたどるに決まってますやん」
ko◯uro先輩「でも、現実を見ると、核を放棄して、海軍を解散したウクライナがロシアに侵攻されたじゃないですか?」
清〇師匠「国際関係は一国だけで成り立つわけではありませんよね。
1.他国を敵として認識する
2.他国を競争相手と認識する
3.他国を味方として認識する
の3つを考慮して、国防を考えるのが現実的なのでは?
な◯た師範「また、どさくさに紛れて改憲しようとしてなはる(笑)」
ko◯uro先輩「どさくさに紛れてって、師範、それ使い方、間違ってません(笑)?
『どさくさに紛れて議論する』ってのは誤用で、『どさくさに紛れて議論から逃げる』というのが使い方としては、正しいのでは?」
な〇た師範「じゃ、視点を変えて、憲法を改正するとしましょう。
そうしたら、日本人はまた、過去の過ちを繰り返すかもしれまへんで。
まずは、これを読んでみなはれ。
軍隊を持たない国、コスタリカ共和国|なんとかしなきゃ!プロジェクト (jica.go.jp)
下に、記事をペーストしておきましたので、よろしゅー頼んます」
ko◯uro先輩「でも、戦後、ODAや国連への拠出金をみれば、日本が平和に果たしてきた役割を国際社会は無視できないでしょうし、日本も国際社会から得た信頼をかなぐり捨てるとは思えません。
まして、民主主義国家である我が国が、選挙で為政者を選ぶわけでもない独裁国家より危険だとは思えませんがねぇ」
清〇師匠「コスタリカを例にあげるって『命より健康が大事』って言ってるみたい(笑)」
な〇た師範「清〇師匠、何をアホなことを言ってはるの。
立憲〇〇党の有田議員は言っています。
『外交の力で中国を抑えて、台湾有事をやらない。そして万が一何か動きがあっても、米軍が動かないような交渉をやってほしいんです。一番危ないのは沖縄なんですよ』って。」
ko〇uro先輩「それって、中国を抑えなくてもいいけど、米国は動かすなってことですよね?」
清〇師匠「そうそう、米国を動かさなければ、台湾の次は沖縄がおススメってこと(笑)。
っていうことは、米国の軍事力が日本の平和を担保していたって自白していることになりますよね、有田議員」
さて、日本人はアルカディア(理想郷)を手に入れることができるのでしょうか?
それとも「死神はアルカディアにおいてでさえも、存在している」のでしょうか?
◇ ◇ ◇ ◇
素晴らしく良い所だが、どこにもない場所
理想郷と言えば、ユートピアを思い浮かべます。
ヨーロッパ人のあこがれ、理想の社会は、古代ギリシャ。
そして、日本人の理想は中国なのでしょうか(笑)?
ユートピア(utopia、Eutopia): トマス・モアは著作『ユートピア』に現実には決して存在しない理想的な国家を描きました。
しかし、モアの意図は現実の社会と対峙させることによって、現実への批判を行うこと。
ちなみに、そこに描かれているユートピアとは、
財産を私有しないけど、労の義務を有し、時計のように正確で、蜜蜂の巣のように規則的な社会、格差がない代わりに人間の個性を否定した非人間的な管理社会。
共産主義思想が示すような「唯一の価値観、唯一の基準、唯一の思想による全体の知と富の共有」は理想ですが、人間的なものや自由をすべて圧殺した先にあるのは、無味乾燥の生活だけ。
◇ ◇ ◇ ◇
な〇た師範が紹介していた記事はこれ。
軍隊を持たない国、コスタリカ共和国
◇ ◇ ◇ ◇
文化は自己成就予言
と
社会構成主義者 アレクサンダー・ウェントは言いました。
安全保障の道筋はパワー一辺倒ではなく、交渉や対話といった非軍事手段にも開かれているのであり、「認識が変われば、現実が変わる」ってね。
構成主義が注目されるようになったのは、冷戦終結期の1990年前後。
「軍事力の多寡だけが国家の安全や脅威を決定している」わけではなく、「国家行動を規定し、国際関係を支えているのは観念やイメージだ」というのが、その主張。
つまり、他国のパワーの増強が自国の脅威になるかどうかは、両国の間の認識に依存しているということ。
たとえば、アメリカが軍備増強したらキューバには脅威でも、カナダには脅威ではありませんね。それは、信頼関係が確立されているから。
もちろん、日本が率先して軍縮を進めたら、隣国との信頼関係の醸成につながり、双方の安全保障に資するという可能性はゼロではありません。確率はほぼゼロに近いですけどね(笑)。
◇ ◇ ◇ ◇
ところが、冷戦の終結で国際関係の観念やイメージが変化したように思えたのも束の間、プーチンは見事にそれを打ち砕いてくれました(笑)。
「軍とは名のみの、民兵程度の武装力をもって中立を維持している国が軍事侵略を受けたという話は聞かない」って言いたい気持ちはわかりますけど・・・・。
軍隊を保有しないコスタリカ、モーリシャスは、いずれも小国で、隣にロシア、中国、北朝鮮などの脅威はありません。
心の中の、リトルko〇uroが、ボソリと、呟つぶやいた。
武力侵略を行うメリットがないからですね。
存在自体が脅威にはならないし、もし、領土問題があったとしても、小国相手ですから、力がものをいいます。
よって、なにも焦る必要はないのです(笑)。
さて、
あなたは、
どちらかというと、
アルカディア派? それともユートピア派?
最後に、登場人物と思われるお三方に、勝手なことをしでかしましたことお詫び申し上げます。
もし、イメージが損なわれるということでしたら、コメントに書いてくださいね。
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