同胞への責務と愛国心(連帯と帰属)(1)
「不法外国人の人権」と「国民の人権」、良い人権はどっち(笑)?
前回の記事で、「人権」「人道的」って言葉には、人々を思考停止に追い込む魔力が潜んでいることを指摘しました(笑)。
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Greg Abbott テキサス州知事によると、ドラッグの流入量は前年比で 800% となり、これは人口数アメリカ 4位のニューヨーク州民を全滅させられる量に匹敵するとのこと。また、犯罪歴を持つ不法入国者は 6,000人を超えたようです。それでも、責任を持たされた副大統領は、国境を視察にも行きません。
「人道的」を目指した人たちが、アメリカという国にもたらした現実を見れば、わが同胞ムール・ガイさんの心配が杞憂に終わらない可能性が大であることは明白です。
さて、今回は「同胞への責務と愛国心」について。
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ジャン=ジャック・ルソーは、人間は自然状態にあっては、互いに相争い、命の安全も保てないと考えました。そこで、一旦、共同体に自分の権利を全面的に譲渡した上で、自由な個人の契約によって社会を構成しようというのが、ルソーの社会契約論。
自分の利益のために、自分の意志で、共同体と一体化することで、真の安全や自由が得られる、という考えです。
ルソーの予想では、この「一般意志」が明快である限りにおいては、個人と社会という共同体との間に対立はないとなります。この共同の自我が集まったのが、共和国であり、別名を「国家」といいます。
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再び、ムール・ガイさんの記事。
国の役割は自国民を守ることが最優先課題で、世界の常識です。・・・・外国人は滞在している国に管理されなければならないのです。・・・・
・・・・感情論ではなく、どうすれば、紛れたテロリストを見抜けるかといった制度的な話になると思います。すべてを人権問題に置き換えるのは論点のすり替えとしか思えません。
・・・・滞在している外国人が信用されていないのではなく、自国民を守るために行っていること・・・・出入国管理は国の安全にかかわることであり、それを感情論でないがしろにするのはいいことではありません。
・・・・本当の難民の人たちを救うためにもテロリストが難民として紛れ込まないようにすることが大切になってくると思います。
難民申請をしている人の敵は入管法ではなく、難民申請を悪用するテロリストです。
わが同胞ムール・ガイさんは、自国民を守るのが国家の役割だ、と言っています。
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マイケル・サンデルの「これからの『正義』の話をしよう」(早川書房)294ページの要約。
エチオピアで飢饉がおこった。イスラエル政府は、エチオピアのユダヤ人を救出したあと、作戦は中止。これは正しい行為なのだろうか?
何十万人ものエチオピア人が飢餓に苦しんでいたのに、なぜイスラエルは7,000人のエチオピア在住ユダヤ人しか救わなかったのだろう?
どうして、救出する7,000人のエチオピア人をクジで選ばなかったのだろう?
カントは同じ人類として他者に対して力量に応じた援助をする普遍的義務があると言うだろう。
だが、イスラエルはエチオピア在住のユダヤ人の救出に特別の責任を負っており、その責任は難民全員を助ける義務よりも大きいのだ。
だから、イスラエル政府は人類としてではなく、同胞と呼ぶユダヤ人だけを救出したのだ。結局、愛国心、連帯と帰属の責務を持ち出すことなしに、イスラエルの行為を評価することはできないのである。
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マイケル・サンデルの「これからの『正義』の話をしよう」(早川書房)295ページ~の要約。
愛国心は美徳か?:
愛国心は、大いに議論のある道徳的心情だ。国家への愛は批判の入り込んむ隙のない美徳だと見る人もいれば、盲目的従属、ショーヴィニズム(狂信的愛国心)、戦争の根源と見る人もいる。・・・・
ジャン=ジャック・ルソーは、コミュニティへの愛着とアイデンティティはわれわれの持つ普遍的人類愛を補完するのに必要なものだと説く。「人類愛という心情は、・・・・タタール地方や日本で起きた災厄に、ヨーロッパの民族を襲った災厄と同じ衝撃を受けるわけではない。関心と同情が湧くのは、ある程度の範囲内に限られる」。愛国心は仲間意識を強める、限られた範囲内の原理だとルソーは示唆する。
・・・・たしかに国は自国民に対し、他国民よりも多くのものを与える・・・・が、これらは外国人には提供されない。・・・・移民政策の緩和に反対する人びとは、新たに入国した移民が、アメリカの納税者の支払いによって維持されてきた社会福祉制度に便乗するのを懸念している。・・・・
ほぼすべての人が、福祉と対外援助を区別して考えている。そして、われわれには同国民のニーズに応える特別な責任があるが、世界の誰にでも同じ責任を持つわけではないことに、ほとんどの人は賛同する。・・・・
咀嚼(そしゃく)すると、こんなようになるかと。「人類愛はある程度の範囲内に限られる」んです。それが愛国心。世界の誰にでも同じ責任を持つわけではありません。人類愛を補完するのは、コミュニティへの愛着とアイデンティティです。だから、イスラエルは同胞を、他国の人への人類愛と同列に扱うのではなく、特別視したのです。そして、不法移民を野放しにすることと対外援助とは別物。
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298ページ 国境パトロール:
・・・・移民の制限を支持する議論として最も有効なのは、コミュニティに関するものだ。マイケル・ウォルツァーも書いているように、構成員の条件を決め、受容と排除の基準を定める能力・・・・を欠けば、「『特性あるコミュニティ』はありえないし、たがいに特別なかかわりを持ち、共同生活に特別な感覚を持つ人びとの、歴史的に安定した継続的な結びつきもありえない」。・・・・・最も恵まれない人々を助けるという観点からすれば、移民に門戸を開くという政策にも一理ある。とはいえ、平等主義に共鳴する人々も、それを支持するのは躊躇する。・・・・
共同生活と共有する歴史ゆえにわれわれが同胞の福祉に対して特別の責務を負うと認める場合に限る。・・・・道徳的行為者としてのわれわれのアイデンティティは、われわれが暮らすコミュニティと不可分である。
ウォルツァーが述べるように、「・・・・コミュニティの結びつきが責務と共通の目的を生み出し、・・・・国家当局には自国民の福祉と・・・・自らの文化と政治の成功を特別に考慮する理由がある」のである。
要約します。生活や歴史を共有する同胞に対して、我々は互いに特別なかかわりを持ち、国は特別の責務を負うのです。個人のアイデンティティは、コミュニティと不可分であり、コミュニティの結びつきが同胞への責務を生み出します。
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みなさんは「範囲を限定しない人類愛」を唱える野党やマス○ミは、「同じ人類として他者に対して力量に応じた援助をする普遍的義務がある」とのイマニュエル・カントの言葉を知った上で言っていると思いますか? 彼らに同胞への責務を果たす意志があるように見えますか?
オイラは、ムール・ガイさんのように、「自分の家族より他国の国民への人道的な行為を優先することは一見いいように見えるけど、実は自国の安全を脅かす」と指摘してくれる同胞の方を信じるし、誇らしいと思っています。
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