現代の竹斎(ちくさい)

 芭蕉が『冬の日』に詠んだ句に「狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉」とがあります。竹斎とは富山道冶(とみやまどうや)によって書かれた仮名草子『竹斎』の主人公の名です。

 時は1600年頃のこと、竹斎というやぶ医者は諸国行脚を思い立ち、家来を連れて山城の国(京都)を出ます。そして、東海道を下りながら名所名跡を巡り、名古屋にたどり着きます。そこで、「天下一の藪医師(やぶくすし)の竹斎」の看板を掲げて3年過ごします。

 竹斎は患者に薬とともに食べてよいもののリストを与えますが、当然、効果はなく、患者から非難されます。すると竹斎は謡本を医学書に見立てて読み上げ、自分には非がないとうそぶくのでした。また、子どもが井戸に落ちたら、吸膏薬(すいこうやく)を井戸の蓋に塗り、子どもを吸い上げようとします。

 それが、400年の時を経て舞い戻ってきてしまったのです、やぶ医者にもなれない竹斎が。言わずもがな、当初から「新型の病気が過去にないほどの大流行につながっている。だが、C国の対応も過去にないほど素晴らしい」「C国国外の感染者数が少ないことに関し、C国に感謝しなければならない」とC国に配慮し続けパンデミックを引き起こした張本人、WHOのテドロスその人なんです。


 

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