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合理的な愚か者

プレーヤー評論家、プレーが上手なのはどっち?

処理済み汚染水の処分をめぐり、政府の海洋放出方針について。

1)政府は福島県民、漁民、漁師の皆さんを馬鹿にしているのかという怒りでいっぱいだ。許されるものではない

2)国会議員として、風評被害が起こらないようIAEAとの連携することも含めて、これこれのアイデア提案します。

1)と2)、どちらの発言が福島県民を思っているのでしょう?

あなたが国会議員(プレーヤー)なら、どちらの発言をしますか?

     ◇     ◇     ◇     ◇

一度、風評被害が起こったら、どんな科学的根拠も説得力を持ちません。

思考停止を招き、風評被害を煽る国会議員にモノ申す。

国会議員(プレーヤー)なら、風評被害をもたらさずに処理できる方法を提示しなさいな!!!

     ◇     ◇     ◇     ◇

コメントを頂き、補足が必要と考えました。

この記事の合理的な愚か者を、参照ください。

ノーベル経済学賞(1998年)に輝くアマルティア・センは、こうした合理的に振る舞う人間のことを「合理的な愚か者」(rational fools)と呼んでいるが、こうした「愚か者」は単なる理論上の話ではなく実際の世の中でもしばしば生まれる可能性がある。
たとえば、ごみ処分場をどこかに作らなければその地区のごみが過飽和になることが分かっていても、処分場の候補地とされた地区の住民はおしなべて、独立した判断によって、自分の地区への建設に反対する。これはきわめて目的合理的な判断であるーーー安全で快適な生活を送るためには、他の地区がどうであろうと、自分たちの地区にそれを乱すものができることは不合理であるからーーー。
だが、その結果、どこにも建設できないことになり、結果的には全員がごみを抱え込んで不快で危険な(非衛生的な)生活を余儀なくされる。理論上は「合理的な愚か者」を笑うことはできても、実際には笑うに笑えない状況が身近にあるのである。
現代社会は、独立主体としての個人や集団が、他との関係が切れたところで閉鎖的に判断していることが多い。そしてまた、そうした判断が自由と平等の権利として保障されているがゆえに、全体としてみれば愚かな結果になってしまい、それが民主主義の不満となって現れている。
ここを突破しないかぎり、真の民主主義のウマミも味わえないことは分かってはいるのだが、その突破方法が分からないことが多いのである。まさか民主主義を根本的に否定することもできないし(勢い余ってやってしまう人もいるが)、といって、きれいごとを並べ立てて戒めの言葉遊びで終わっていては何の解決にもつながらない。


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