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21日は、甲(きのえ)

今日の記事は「」を題材にするつもりでいたのですが、オイラがnote 界でとあがめる清水師匠が降臨されたので、急遽、差し替えとなりました(笑)。

おまけに、課題を丸投げ(笑)してくださいましたので、ありがたく頂戴致すことに。

まずは要点整理から。記号は、甲骨丙(こう・おつ・へい)の3つを使います。

甲)十干
乙)陰陽五行説
丙)十二支


甲)十干:11月の下旬の初日である今日 21日は甲(きのえ)

1か月を十日ごとに分け、上旬、中旬、下旬と呼ぶ習わしは、ご存じかと。そして、2日目が、・・10日目がてな具合に数えるのが、「甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)」の十干(じっかん)分類の時には音読みで「こう、おつ、へい・・」のように使われますが、もとは日の順番を表していたんです。

乙)陰陽五行説:

中国の春秋戦国時代に、陰陽説五行説という別々の考え方が癒合してできたのが、陰陽五行説(おんようごぎょうせつ)という古代中国の哲学。この世の始まりは混とんとした宇宙でした。その宇宙からの気が上昇してに、の気が下降するととなります。の気が下降するって聞いて、コールドドラフトを思い浮かべたあなたは、寒さ対策のプロフェッショナル(笑)。
十干を「きのえ、きのと、ひのえ・・・みずのえ、みずのと」と訓読みするのは、五行の影響。たとえば、きのえ)ですが、これは「木の兄(きのえ)」に由来。はあとで出てきますが、のこと。ちなみに、語尾の「」は兄で、「」は弟。そうなんです、「えと」はもともと十干の呼称でした。 こうして、十干は吉凶や縁起、迷信を生む要因となっていきます。


丙)十二支:

えと」と言えば、子・丑・寅・・・・の十二支では?と思いますよね。12年で天を一周する木星の位置を示すために作られたのが十二支です。の時代には月(moon じゃなくて、month の方)の呼び名とされました。当初は子の月を1月(正月)としていましたが、立春の頃を正月と定めるようになると、1月は寅の月に。
そして、古代中国のの時代、十干十二支とが組み合わされ十干十二支(六十干支 ろくじっかんし)となり、年や月や日を表す手段となりました。動物の名をあてた十二支獣ができたのは、春秋戦国時代(紀元前770~221年)のこと。言うまでもなく、子に「ねずみ」、丑に「うし」の意味はありません。
「草木も眠る丑三つ時」は、午前2時から午前2時30分までの間(もしくは、午前2時)。昔、夜の 0時の前後 2時間を子の刻とし、2時間ごとに十二支で時刻を表しました。そして、昼を午刻(うまのこく)と呼んだことから、前・後の一部に。
方位も十二支で、北は子、南は午、東は卯、西が酉と表現します。北と東の間には、さらに、がはさまっています。

五行は十二支にも配されていました。の気は1年の中で増幅しては減衰します。ただし、のフェーズは正反対で、は冬至をピークに衰え、は夏至に頂点を迎えます。そして陰陽が消長する間に、木火土金水(もくかどごんすい)の5つの活力ある物質(五行)が生まれ、四季を生じさせます。春が、夏が、秋はで、冬はって具合。ただし、だけは特別扱い。土用は四季それぞれの最後の約18日で、年に4回あることに。

ああでもないこう(甲)でもない(笑)と書いてまいったので、おわかり頂けたどうかが、きのえ(甲)になるところではありますが、なにぶんオイラ素人ですので、ご勘弁を。

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