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過去より今を見ろって話

こんにちは、昔は赤ちゃんで可愛かったすずきです。

この歳になるとやっぱり「昔は〜」とか「おじさんになったな〜」みたいな瞬間があるんですよね。

昔はあんなに大人になりたくて、歳をとることをいいことだと思って毎年、そりゃ誕生日はめちゃくちゃ楽しみでした。

20超えてくるとやっぱ歳とりたく無くなるんですよね。

仕事でも趣味のグループでも、気付いたら最年少ではなくなって、ある程度の知識技術を求められるようになる。

要求されるものと、自分のパフォーマンスが離れていくと歳をとりたくないって感じるのは自明ですが受け入れ難いです。

そうなってくると過去に縋り始めるわけですよ、何者にもなれなかった世のおじさんは皆そうですね。

歳を重ねて何者にもなれなかった量産型のおじさんは量産型であることを受け入れられないんです。

本当は何者にもならず、オリジナルを貫き通して生きていくのが理想ですが一般の社会がそれを許してくれません。

しかし、学生時代や挑戦することを許されていた年齢では、オリジナルである事がある程度、許容されます。

量産型おじさんにも、ギラついて無敵でこのまま成長していけば何かを成し遂げられる、そういう夢を見させてもらっていた時があった訳です。

量産型であるが、量産型であるのを受け入れられないおじさんはその時の自分こそが本当の自分と信じて疑いません。

なので過去の話を持ち出すんですよね。

過去なんて不確かなモノ。

自分の記憶の中の自分は自分では無い。

過去は文字通り過ぎ去ってしまった物で、去ったものをいつまでも掘り起こして墓場荒らし見てぇなことをする時間があるのであれば、今を誇れるように努力をした方が建設的。

その当時の自分がどのくらい頑張ってどうやって今でも誇れるそれを成し遂げたか。

それをよく思い出して、今の自分と比べて。

昔ほど努力してるか?昔ほど本を読んでいるか?昔ほど執念があるか?

ひとつひとつ問いただして今を生きれば自ずと過ぎ去った時が思い出としてではなく、現実として再び現れると思う。

今日が1番若いことを心に留めて日々を乗り越えて過去に縋るな。今をイキろ。

明日の俺より今日の俺の方が若い、明日の俺よりおじさんではないので、カツ丼が行けるハズ(いけない)(逆流性食道炎)

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