過去の自分と今の自分で思考が変わってもいいじゃないか、人はそれを成長と呼ぶのだから

僕は意識が高い系新社会人としてこの世間に放り出された。社会に出たからには、何か人の役に立つことをしよう。と

具体的になにをするか、何をしたいのか、人生プランも考えていった。少し僕自身のバックグラウンドの話になるので読み飛ばしてほしい。僕は幼いころから、暴力的な行動に出たりすることが多く、親にはいつも迷惑をかけてきていた。大学のころ、バイト先で人間としての生き方を学んで、この学びを後世の人にも伝えていけたらいいなと思い、コンサルタントになって中小企業を盛り上げつつ、学びを伝えていければいいと思っていた。

大学を卒業して、一般企業に就職したあの頃の僕はこの、「この世の中をよりよくしよう」という考えに支配されていた。22-28歳くらいまでの7年間ずっとだ。29歳になり、今年30歳の大台に乗ろうとしているの思考は以前のそれとは変わってしまった。いまは、仕事と趣味の時間をうまく両立していければいいと思っている。(もちろんそれぞれに細かい目標設定はするけど)

自分のバックグラウンドがこうで、こんなトラウマがあって、社会に対する不満があって、それを解決するために○○をしたい!!!!とか、好きなことを仕事に!!ゆくゆくは独立してフリーでバリバリはたらく!!!!っていうことは全くなくなった。

これを衰退だという人もいるだろうが、僕はそうは感じていない。なぜなら「この世の中をよりよくしよう」ということを諦めたわけではないからだ。時間をかけてこの僕の中の「この世の中をよりよくしよう」が柔軟になったように感じている。

初志貫徹。という言葉がある。初心に帰るという言葉もある。世間には「あの頃と言っていたことがちがう」と考え方や意見が変化した人に対して痛烈に批判を浴びせる人がいるが、変化することは成長だと僕は思っている。

週刊少年ジャンプで以前連載していたNARUTOという漫画の主人公が「まっすぐ自分の言葉は曲げねぇ。それが俺の忍道だ」と発言していた。このまま大人になったらとんでもない頑固おやじの誕生である。物語がすすむと、彼はある女性と結婚するが、ぜひ彼には「ヒナタ、お前がそこまで言うならそうしようってばよ」って発言してもらいたいし、この言葉を聞くと、なんか、ナルト、大人になったな、、、ってしみじみする。

話がずれてしまった。世の中の変化に合わせて自分を変えられる人間になりたいわけではないが、少しくらい考えが柔軟な人間にはなりたい。

日々生きて、積み重ねてきた思考を誰かに否定されても気にすることはない。積み重ねて変化した自分を誇りに思いたい。

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